アンドレ・コリンバ

アンドレ・コリンバ
André Kolingba

中央アフリカ共和国の旗 中央アフリカ
国家再建軍事委員会議長
任期 1981年9月1日1985年9月21日

任期 1985年9月21日1993年10月22日

出生 (1935-08-12) 1935年8月12日
フランスの旗 フランス領ウバンギ・シャリバンギ
死去 (2010-02-07) 2010年2月7日(74歳没)
フランスの旗 フランスパリ
政党 中央アフリカ民主連合
配偶者 ミレーユ・コリンバ
署名

アンドレ・コリンバ (フランス語: André Kolingba1935年8月12日 - 2010年2月7日) は、中央アフリカ共和国軍人政治家1981年から1993年まで同国の元首を務めた。中央アフリカ民主連合(RDC)の指導者。

生涯

1935年、フランス領ウバンギ・シャリの首都であったバンギで生まれる。フランス軍に入隊し、1960年に中央アフリカ共和国が独立するとその軍に加わった。1979年にダヴィド・ダッコが皇帝ボカサ1世を追放して大統領となると、軍の参謀総長となった。

1981年、コリンバはダッコをクーデターで追放し、政権を奪取した。コリンバは国家再建軍事委員会の議長として元首の座に就き、アンジュ=フェリクス・パタセら反対派を追放した。1985年には大統領に就任したが、その政権運営は独裁的で、政党はRDCの一党しか認められず、また自らの属するヤコマ人(英語版)を筆頭とする南部出身者を重用し、北部人との対立を引き起こした。

1993年、経済難などを理由に民主化運動が激化。コリンバは複数政党制を認めざるを得なくなり、選挙の結果パタセ元首相が大統領に就任。コリンバは下野した。

2001年、コリンバ派の軍人がパタセ大統領に対するクーデターを起こしたが、失敗。コリンバはウガンダへと逃亡した。

2010年2月7日パリにおいて死去した[1]

家族

息子のデジレ・コリンバ(フランス語版)は、2014年2月、国民移行評議会(英語版)による大統領選出選挙で決選投票まで残ったものの、カトリーヌ・サンバ=パンザに敗れている[2]

出典

  1. ^ “Former Central Africa president dies: party”. Yahoo! News. (2010年2月7日). http://news.yahoo.com/s/afp/20100207/wl_africa_afp/centrafricapoliticsfrance 
  2. ^ “中央アフリカの暫定大統領に首都市長、同国初の女性大統領”. AFPBBNews (フランス通信社). (2014年1月21日). https://www.afpbb.com/articles/-/3006910 2014年2月13日閲覧。 
先代
ダヴィド・ダッコ
中央アフリカ共和国の旗 中央アフリカ大統領
第4代:1981年 - 1993年
次代
アンジュ=フェリクス・パタセ
大統領
暫定大統領
軍事政権元首
  • アンドレ・コリンバ2 1981-1985
中央アフリカ帝国
皇帝
  • 2 国家復興軍事委員会委員長
  • 3 暫定大統領代行
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