アンヌ=ジュール・ド・ノアイユ

イアサント・リゴーによる肖像画、1691年作。

第2代ノアイユ公爵アンヌ=ジュール・ド・ノアイユフランス語: Anne-Jules de Noailles, 2er duc de Noailles1650年2月5日 - 1708年10月2日)は、フランス王ルイ14世の治世末期の軍人。1689年にノアイユ連隊を徴集した後、大同盟戦争スペイン継承戦争でスペイン戦役に参戦、1693年にフランス元帥に叙された[1]

家族

アンヌ・ド・ノアイユ(英語版)ルイーズ・ボワイエ(英語版)の息子として生まれ、1678年にアンヌが死去するとノアイユ公爵(英語版)の称号を継承した[1]。マリー=フランソワーズ・ド・ブルノンヴィル(Marie-Françoise de Bournonville)と結婚して[2]子供をもうけた。1708年に死去、長男のアドリアン・モーリス(英語版)が公爵の称号を継承した。娘のマリー・ヴィクトワールはルイ14世の庶子トゥールーズ伯爵と結婚した。

アンヌ=ジュール・ド・ノアイユは多くの子女をもうけた。

  • マリー・クリスティーヌ(1672年 - 1748年) - フランス元帥アントワーヌ5世・ド・グラモン(英語版)と結婚[2]
  • マリー・シャルロット(1677年 - 1723年) - コエトケーン侯爵マロと結婚[2]
  • アドリアン・モーリス(英語版)(1678年 - 1766年) - 第3代ノアイユ公爵、フランソワーズ・シャルロット・ドービニェ(英語版)マントノン侯爵夫人の姪で相続人)と結婚[2]
  • リュシ・フェリシテ(1683年 - 不明) - 1698年、後にフランス元帥となるヴィクトル=マリー・デストレ(英語版)と結婚[2]
  • マリー=テレーズ(1684年 - 1784年) - 1698年、ド・ラ・ヴァリエール公爵シャルル・フランソワ・ド・ラ・ボーム・ル・ブランと結婚[2]
  • マリー=フランソワーズ(1687年 - 不明) - 1703年、ラヴァルダン侯爵エマニュエル・ド・ボーマノワールと結婚[2]
  • マリー・ヴィクトワール(1688年 - 1766年) - 1707年、ルイ・ド・パルダイラン・ド・ゴンドラン(英語版)と結婚、1723年トゥールーズ伯爵と再婚
  • アンヌ・ルイーズ(1695年 - 不明) - 1716年、ルーヴォワ侯爵フランソワ=マセ・ル・テリエと結婚[2]、後にジャック・イッポリト・マンチーニと再婚。2018年現在のモナコ大公アルベール2世の祖先にあたる。

脚注

  1. ^ a b Chisholm 1911, p. 722.
  2. ^ a b c d e f g h Oettinger & Kesselmeyer 1869, p. 64.

参考文献

ウィキメディア・コモンズには、アンヌ=ジュール・ド・ノアイユに関連するカテゴリがあります。
  • Oettinger, Eduard Maria; Kesselmeyer, Karl August (1869). Moniteur des dates (ドイツ語). L. Denicke. p. 64. 2012年8月13日閲覧
  • Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Noailles s.v. Anne Jules" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 19 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 722–723.

関連項目

  • トロエラの戦い(英語版)
アンヌ=ジュール・ド・ノアイユ
ノアイユ家

1650年2月5日 - 1708年10月2日

フランスの爵位
先代
アンヌ(英語版)
ノアイユ公爵(英語版)
1677年 – 1708年
次代
アドリアン・モーリス(英語版)
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