オスカル・アリアス・サンチェス

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はアリアス第二姓(母方の姓)はサンチェスです。
オスカル・アリアス・サンチェス
Oscar Arias Sánchez


任期 2006年5月8日2010年5月8日

任期 1986年5月8日1990年5月8日

出生 (1940-09-13) 1940年9月13日(83歳)
コスタリカの旗 コスタリカ、エレディア
政党 国民解放党
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1987年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:中央アメリカにおける和平調停への尽力と、ニカラグアエルサルバドルの間の紛争を仲裁した功績に対して

オスカル・ラファエル・デ・ヘスス・アリアス・サンチェスÓscar Rafael de Jesús Arias Sánchez1940年9月13日 - )は、コスタリカの政治家。元大統領(第43・48代)。ラテンアメリカの国家元首として初めてノーベル賞(平和賞)を受賞した。彼はさらにアルベルト・シュバイツァー人道賞の受賞者である。

生い立ち

アリアスはエレディア州の裕福な家庭に生まれる。首都のサンホセで教育を終えた後、医学を学ぶためボストン大学に入学する。しかしまもなく帰国し、コスタリカ大学で法律と経済学を学ぶ。1967年にイギリスに渡り、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに入学する。彼は1974年にエセックス大学から政治学の博士号を受け取る。彼は50以上の名誉学位を受け取り、その中にはハーバード大学プリンストン大学ダートマス大学オベリン大学セントルイス・ワシントン大学が含まれる。

第1期大統領職

  • 1986年、積極的永世非武装中立宣言を発表したアルベルト・モンへ大統領の後をうけ、国民解放党(PLN)より大統領に就任。 Día de la Abolición del Ejército (Military abolition day, 軍備全廃の日) を宣言(法案 #8115)
  • 1987年、中米和平合意成立の功績によりノーベル平和賞を受賞。
  • 1990年、大統領職退任
  • 1994年、私費で財団を創設。

第2期大統領職

発言

2007年6月にコスタリカ共和国中国と国交樹立すると同時に台湾と断交した。これについてアリアス大統領は

  • 「決断すべき時だった。中国は、われわれが無視することができない現実だ」とAFP通信などに語っている。
  • しかし地元ラジオでは「台湾の資金提供額が少なかったから乗り換えた」と明言している。[2]

セクハラ問題

2019年2月、セクハラ行為があったとして女性2名から告発された[3]。一人は精神科医で反核運動家の女性で、軍縮に関するインタビューをした際に、背後から胸を触られ手を入れられたというもので、もう一人は人権NGO団体ヒューマン・ライツ・ウォッチの職員エマ・ダイリーで、大統領時代の1990年に面会した際、突然胸を触られ「君はブラをしてないね」と言われるなどしたと訴えている[3]。この二人のほかにも元ミス・コスタリカが胸を触られキスをされたと告訴したのをはじめ、複数の女性が被害を訴え出ている[4]。アリアスは否定している[3]

脚注

  1. ^ コスタリカ大統領、国家元首初の新型インフルエンザ感染 ロイター 2009年8月12日
  2. ^ 『1996年のプレバルハイチ大統領の就任式の際、台湾当局者に「米州最も貧しい国ハイチ)に対して、年間たった2000万ドルの支援とはどういうことか。本当に支援を望むなら、年間2億ドルを出すべきだ。台湾にとっては何でもないことだ」「米国は国内総生産の0.1%を外国援助に充てているのに、台湾は0.0001%さえも出していない」と告げた』 『台湾が30カ国に満たない国と外交関係を持つのなら、もっと寛大になるべきだという意味において、私は台湾に批判的だ』と述べた。コスタ・リカの大型プロジェクトなどに対する台湾の資金提供については『あまり評価しない』と発言した。--2007年6月8日時事通信
  3. ^ a b c Two women accuse former Costa Rican president Óscar Arias Sánchez of sexual misconductワシントン・ポスト、2019.2.5
  4. ^ ノーベル賞の元大統領に性的暴行疑惑、中米コスタリカ日経新聞、2019/2/10

外部リンク

  • コスタリカ共和国大統領オフィシャルサイト
  • アリアス財団
公職
先代
アベル・パチェコ
ルイス・アルベルト・モンヘ
コスタリカの旗 コスタリカ共和国大統領
第48代:2006 - 2010
第43代:1986 - 1990
次代
ラウラ・チンチージャ
ラファエル=アンヘル・カルデロン=フォルニエル
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ベティ・ウィリアムズ / マイレッド・コリガン・マグワイア (1976) - アムネスティ・インターナショナル (1977) - メナヘム・ベギン / アンワル・アッ=サーダート (1978) - マザー・テレサ (1979) - アドルフォ・ペレス・エスキベル (1980) - 国際連合難民高等弁務官事務所 (1981) - アルバ・ライマル・ミュルダール / アルフォンソ・ガルシア・ロブレス (1982) - レフ・ヴァウェンサ (1983) - デズモンド・ムピロ・ツツ (1984) - 核戦争防止国際医師会議 (1985) - エリ・ヴィーゼル (1986) - オスカル・アリアス・サンチェス (1987) - 国際連合平和維持活動 (1988) - ダライ・ラマ14世 (1989) - ミハイル・ゴルバチョフ (1990) - アウンサンスーチー (1991) - リゴベルタ・メンチュウ (1992) - ネルソン・マンデラ / フレデリック・ウィレム・デクラーク (1993) - ヤーセル・アラファート / シモン・ペレス / イツハク・ラビン (1994) - パグウォッシュ会議 / ジョセフ・ロートブラット (1995) - カルロス・フィリペ・シメネス・ベロ / ジョゼ・ラモス=ホルタ (1996) - 地雷禁止国際キャンペーン / ジョディ・ウィリアムズ (1997) - ジョン・ヒューム / デヴィッド・トリンブル (1998) - 国境なき医師団 (1999) - 金大中 (2000)

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