カール (ヘッセン=カッセル方伯)

カール
Karl
ヘッセン=カッセル方伯
在位 1670年11月21日 - 1730年3月23日

出生 (1654-08-03) 1654年8月3日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン=カッセル方伯領カッセル
死去 (1730-03-23) 1730年3月23日(75歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン=カッセル方伯領、カッセル
配偶者 アマーリア・フォン・クールラント
子女 一覧参照
家名 ヘッセン=カッセル家
父親 ヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム6世
母親 ヘートヴィヒ・ゾフィー・フォン・ブランデンブルク
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カールKarl, 1654年8月3日 - 1730年3月23日)は、ヘッセン=カッセル方伯(在位:1670年 - 1730年)。ヴィルヘルム6世とその妻であったブランデンブルク選帝侯ゲオルク・ヴィルヘルムの娘ヘートヴィヒ・ゾフィーの息子で、ヴィルヘルム7世の弟。祖父はヴィルヘルム5世、曽祖父はモーリッツ、高祖父はヴィルヘルム4世。

生涯

カッセルで生まれ、1670年に兄のヴィルヘルム7世が死去したことによりヘッセン=カッセル方伯となる。

1673年、母方の従姉であるクールラントヤーコプ・ケトラーの娘マリア・アマーリア(1653年 - 1711年)と結婚し、フリードリヒ(後のスウェーデン王フレドリク1世及びヘッセン=カッセル方伯フリードリヒ1世)、ヴィルヘルム(後のヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム8世)、マリア・ルイーゼオラニエ公ヨハン・ウィレム・フリーゾ妃)らをもうけた。

1730年3月23日に死去、スウェーデン王フレドリク1世となっていたフリードリヒがヘッセン=カッセル方伯位を嗣ぎ、スウェーデンとヘッセン=カッセルの同君連合が成立した。しかしフリードリヒ1世と妻でスウェーデン女王のウルリカ・エレオノーラとの間に嗣子が生まれなかったため、この同君連合は一代限りとなった。

子女

  • ヴィルヘルム(1674年 - 1676年)
  • カール(1675年 - 1677年)
  • フリードリヒ(1676年 - 1751年) - ヘッセン=カッセル方伯、スウェーデン王
  • クリスティアン(1677年)
  • ゾフィー・シャルロッテ(1678年 - 1749年) - 1704年、メクレンブルク公フリードリヒ・ヴィルヘルム1世と結婚
  • カール(1680年 - 1702年)
  • ヴィルヘルム8世(1682年 - 1760年) - ヘッセン=カッセル方伯
  • レオポルト(1684年 - 1704年)
  • ルートヴィヒ(1686年 - 1786年)
  • マリー・ルイーゼ(1688年 - 1765年) - 1709年、オラニエ公ヨハン・ウィレム・フリーゾと結婚
  • マクシミリアン(1689年 - 1753年)
  • ゲオルク(1691年 - 1755年)
  • エレオノーレ(1694年)
  • ヴィルヘルミーネ・シャルロッテ(1695年 - 1722年)
先代
ヴィルヘルム7世
ヘッセン=カッセル方伯
1670年 - 1730年
次代
フリードリヒ1世
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