コメルサント

コメルサントロシア語: Коммерсантъロシア語発音: [kəmʲɪrˈsant]、ラテン文字表記:Kommersant、「実業家」「ビジネスマン」の意。しばしば Ъ と略される)は、政治・経済記事を中心とするロシアの日刊全国紙である。2005年時点の発行部数は13万1千部。

沿革

1909年に創刊されたが、ボリシェヴィキの政権掌握と検閲の導入により1917年に発行停止となった。

1990年、ロシアの報道自由化にともない、実業家で政治評論家のウラジーミル・ヤコブレフ(ロシア語版、英語版)を社主として復刊した[1]

ソビエト連邦よりも歴史が長いことをアピールするため、ロシア語の綴りには、近代ロシア語で黙字となり、革命後のロシア語改革(英語版)で廃止された[2]末尾の「ъ」が使われており、コメルサントのロゴも、語末の ъ は特殊な書体で強調されている。

1997年、自動車産業およびアエロフロートの重鎮で、ボリス・エリツィン大統領の家族を中心とする側近グループ(セミヤー)の一員だった[3]ボリス・ベレゾフスキーがコメルサント出版(the Kommersant publishing house)を買収した。当時の発行紙誌は、日刊紙のコメルサント・デイリー(Kommersant-Daily)、高級週刊誌2誌(政治誌のコメルサント・ヴラスト Kommersant-vlast、経済誌のコメルサント・ジェーニギ Kommersant-dengi)、娯楽誌(Domovoi、Avtopilot)、後に当局の逆鱗に触れることになる[4]10代向け雑誌 Molotok などであった。

2006年2月、ベレゾフスキーはコメルサント出版を、コメルサントの経営委員長、およびグルジアの果物缶詰加工会社や野党系テレビ局社主を務め、ベレゾフスキーの旧友かつ経営パートナーだったバドリ・パタルカツィシヴィリ(ロシア語版、英語版)に売却した[5]。同年8月、パタルカツィシヴィリは、コメルサント出版の株式100%を、ガスプロム子会社のガスプロム・インベストホールディング代表アリシェル・ウスマノフに売却した[6]

2008年12月9日、英語の記事配信が停止され、公式ウェブサイトの英語版もなくなっている。イギリスにおけるロシア語版の発行・配信は継続されている[7]

脚注

  1. ^ “Kommersant | Presseurop (English)”. Presseurop (2012年). 2012年4月13日閲覧。
  2. ^ それから現在に至るまで、ロシア語の正書法では末尾に ъ のない коммерсант が正しい綴り字とされている。
  3. ^ Fortune made in Yeltsin era ガーディアン 2007年4月13日。2007年7月24日閲覧
  4. ^ Prosecutors to save Russian teenagers from SMS pornography – Pravda.ru, 30 June 2006 2007年7月24日閲覧
  5. ^ Russian publishing house Kommersant gets a new owner – Editors Weblog, World Association of Newspapers, 28 February 2006 quoting Ekspert magazine 2007年7月24日閲覧
  6. ^ #278 Alisher Usmanov, Forbes magazine 2007年7月24日閲覧
  7. ^ “«Коммерсантъ» United Kingdom”. Kommersant.uk.com. 2011年1月13日閲覧。

外部リンク

  • 公式ウェブサイト (ロシア語)
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