ジャン=ピエール・エリサルド

ジャン=ピエール・エリサルド
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション スクラムハーフ
シニア経歴
チーム 出場 (得点)
1973-1978
1978-1980
1980-1988
スタッド・ロシュレ
アヴィロン・バイヨネ
スタッド・ロシュレ
()
代表
チーム 出場 (得点)
1981-198? フランス 5 (?)
コーチ歴
チーム
1988-1993
1994-2003
2003-2005
2005-2006
2006-2008
2011-2012
スタッド・ロシュレ
スタッド・ロシュレ
ASベジエ・エロー
日本
アヴィロン・バイヨネ
アヴィロン・バイヨネ

ジャン=ピエール・エリサルド(Jean-Pierre Elissalde、1953年12月31日-)は、フランスラ・ロシェル出身のラグビー指導者である。現役時代のポジションはスクラムハーフ

人物

1973年、地元のラ・ロシェルでプロデビュー。

1978年から3年間アヴィロン・バイヨネでプレー。1980年にはイブ・ド・マヌワール杯での全国制覇に貢献。

1981年南アフリカ戦で初キャップ。1983年にはバーバリアンズの主将として日本代表と対戦した。フランス代表キャップは5。

その後、ラ・ロシェルに戻り、選手兼任監督に就任。

引退後はフランスA代表、ベジエでも監督、コーチとして指導に当たった。

2005年3月、日本代表のテクニカルアドバイザーを担当[1]

2005年7月、日本代表ヘッドコーチに就任[2]。2007年9月開催のワールドカップ2007に向けた準備を開始[3]

2006年9月、古巣アヴィロン・バイヨネのスポーツマネジャーにも、日本ラグビー協会に無断で就任した[4][5]

日本代表ヘッドコーチの職務に支障が生じることが予想されることから、日本ラグビー協会は日本代表ヘッドコーチに専念することを求めたが、エリサルドが拒否したため、10月31日付でヘッドコーチの契約を解除されることとなった[4][5][6]

2006年秋から2シーズン、アヴィロン・バイヨネでコーチを行う。

また、2011年11月から2012年1月までの40日間、再度アヴィロン・バイヨネでコーチを務めた。

ジャン=バチスト・エリサルドは子息。

関連項目

脚注

  1. ^ “2005年度 日本代表チームスタッフ一覧”. JRFU. 2023年1月23日閲覧。
  2. ^ JRFU. “日本代表ヘッドコーチに、エリサルド氏が就任|日本ラグビーフットボール協会|RUGBY:FOR ALL「ノーサイドの精神」を、日本へ、世界へ。”. www.rugby-japan.jp. 2022年11月21日閲覧。
  3. ^ “asahi.com:世界との差はなぜ縮まらないのか - ラグビーコラム・ノーサイド!”. www.asahi.com. 2022年11月21日閲覧。
  4. ^ a b JRFU. “ジャン-ピエール・エリサルド日本代表ヘッドコーチとの契約解除決定のお知らせ|日本ラグビーフットボール協会|RUGBY:FOR ALL「ノーサイドの精神」を、日本へ、世界へ。”. www.rugby-japan.jp. 2022年11月21日閲覧。
  5. ^ a b “不可解な続投に二重契約…ラグビー代表監督巡る混乱の歴史|日本ラグビーの光と影”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 2022年11月21日閲覧。
  6. ^ “日本ラグビーフットボール史 日本代表強化新体制”. 日本ラグビーフットボール協会. 2022年11月21日閲覧。
日本の旗ラグビー日本代表ヘッドコーチ(2005-2006)
監督
ヘッドコーチ