スティールカーテン
スティールカーテン(Steel Curtain)は、1970年代に4度スーパーボウルを制覇したNFLのピッツバーグ・スティーラーズのディフェンスラインユニットのニックネーム。元来はディフェンスラインに対する愛称であるが、当時のスティーラーズの強力守備陣全体を総称する愛称としても用いられる。第二次世界大戦後の冷戦を当時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルが「鉄のカーテン」(Iron Curtain)と表現したことに由来する[1]。
1976年シーズン、ピッツバーグ・スティーラーズはシーズン序盤に攻撃の要であるテリー・ブラッドショーを怪我で失い、1勝4敗とプレーオフ進出へピンチに陥っていた。しかし、残りの9試合の内5試合で完封勝ち、残りの4試合でも2タッチダウン、5フィールドゴールしか許さず、平均3.1点しか許さなかった。AFCチャンピオンシップゲームでオークランド・レイダースに敗れ、スーパーボウル制覇をすることが出来なかったが、この時のスティーラーズの先発守備陣11人から8人がプロボウルに選出され、4人がプロフットボール殿堂入りしており、記録的に強力な守備陣として知られている[2]。
主なメンバー
元来はディフェンスラインの愛称として用いられたものであるが、ディフェンスライン以外で殿堂入りした選手も多く、スティールカーテンの一員として挙げられることが多い。
ディフェンスライン
- No.78 ドワイト・ホワイト(英語版) - ディフェンシブエンド(DE)。1971年から1980年までチーム在籍。
- No.63 アーニー・ホームズ(英語版) - ディフェンスタックル(DT)。1971年から1977年までチーム在籍。
- No.75 ミーン・ジョー・グリーン - ディフェンシブタックル(DT)。1969年から1981年までチーム在籍、1987年殿堂入り。
- No.68 L・C・グリーンウッド(英語版) - ディフェンシブエンド(DE)。1969年から1981年までチーム在籍。
ディフェンスライン以外
- No.58 ジャック・ランバート - ラインバッカー(LB)
- No.59 ジャック・ハム - ラインバッカー(LB)
- No.47 メル・ブラント - コーナーバック(CB)
関連項目
- チャック・ノール(英語版) - 当時のピッツバーグ・スティーラーズヘッドコーチ。
- テリー・ブラッドショー - 当時のピッツバーグ・スティーラーズ先発QB。
スティールカーテン以外に強力守備の愛称としてNFLで知られているのは、1960年代から1970年代初めのロサンゼルス・ラムズにおけるフィアサム・フォーサム(英語版)(恐怖の4人組)やミネソタ・バイキングスにおけるパープル・ピープル・イーターズ、1970年代後半のデンバー・ブロンコスにおけるオレンジ・クラッシュ・ディフェンス(英語版)、1980年代のニューヨーク・ジェッツにおけるニューヨーク・サック・エクスチェンジ(英語版)などがある。
脚注
- ^ Battista, Judy (2009年1月31日). “Steelers’ Defense Recalls Steel Curtain Memories”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2009/02/01/sports/football/01defense.html?mcubz=2&mcubz=2 2017年5月28日閲覧。
- ^ NFL Network (2008年5月28日). “Top 10 nicknames in NFL history”. NFL.com. 2013年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月24日閲覧。
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