リュクサンブール宮殿
リュクサンブール宮殿 Palais du Luxembourg | |
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情報 | |
用途 | フランス元老院議事堂 |
旧用途 | ピネー=リュクサンブール公フランソワ邸 マリー・ド・メディシス邸 プロヴァンス伯ルイ邸 総裁政府官邸 |
設計者 | サロモン・ド・ブロス |
建築主 | ピネー=リュクサンブール公フランソワ、マリー・ド・メディシス(改築) |
着工 | 1615年[1] |
竣工 | 1631年 |
開館開所 | 議事堂としては1799年から |
所在地 | フランス、パリ6区、ヴォージラール通り |
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リュクサンブール宮殿(リュクサンブールきゅうでん、仏:Palais du Luxembourg)は、フランスのパリにある宮殿。初期フレンチ・バロックの代表的建築物である[2]。
フランス元老院(上院)の議事堂として使用され、その周囲はリュクサンブール公園として一般に公開されている。
沿革
サロモン・ド・ブロス設計のピネー=リュクサンブール公(フランス語版)フランソワ(ルクセンブルク=リニー家出身)の邸宅を、イタリアからフランス王室に嫁いできたマリー・ド・メディシス(ルイ13世の母)の居城として改築した[1]。ニコラ・プッサンとフィリップ・ド・シャンパーニュが手掛けた内装は、彼女が幼い頃過ごしたフィレンツェのメディチ家の居城ピッティ宮殿をモチーフとしている[1]。
マリーがフランスを追放された後は、彼女の孫であるモンパンシエ公爵夫人などが居住した。フランス革命によって当時の主であったプロヴァンス伯(後のルイ18世)が亡命したために国家に摂取され、監獄として使用されたほか、末期の総裁政府の官邸となり、権力者たちがここを活躍の場とした。その後ナポレオン・ボナパルトが権力を掌握した歴史的な舞台にもなった[1]。
第二次世界大戦中は、ドイツ占領軍の空軍司令部が置かれていた。
自由の女神像の原型が設置されている。
画像
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- ヴォージラール通り門
- 本会議場全景
- 本会議場の議長席、理事席、演壇
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- 元老院議長執務室
- ナポレオンの玉座
- 図書館
脚注
関連項目
- ブルボン宮殿 - 国民議会(下院)議事堂
- テュイルリー宮殿 - テュイルリー宮殿に設置されていた国民公会が二分され、五百人会(下院)がブルボン宮殿に移り、テュイルリーにそのまま置かれていた元老会(上院)は、ナポレオンが筆頭となった統領政府の期間、護憲元老院としてリュクサンブール宮殿に移った。以降、リュクサンブールは元老院(上院)議事堂として用いられるようになった。
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、リュクサンブール宮殿に関連するメディアおよびカテゴリがあります。
- リュクサンブール美術館 - フランス観光開発機構
座標: 北緯48度50分54秒 東経2度20分14秒 / 北緯48.84833度 東経2.33722度 / 48.84833; 2.33722
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