ヴィオリカ・ウルスレアク

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コジ・ファン・トゥッテ』のフィオルディリージ(1932年)

ヴィオリカ・ウルスレアクViorica Ursuleac, 1894年3月24日 - 1985年10月22日)は、ルーマニア出身のソプラノ歌手[1][2]

ルーマニア王国チェルナウツィに生まれる。ウィーンでフィリップ・フォルステンとフリッツ・スタイナー、ベルリンでリリ・レーマンの薫陶を受け、1922年にアグラムにおいてジュール・マスネの『ウェルテル』でシャルロッテ役を歌ってデビューを飾った。その後しばらく地元で歌手活動を続けたが、1924年から1926年までウィーン・フォルクスオーパーの専属歌手となり、1926年にフランクフルト歌劇場に移籍した。1930年から1935年までウィーン国立歌劇場、1935年から1937年までベルリン国立歌劇場、1937年以降はミュンヘンを中心に活躍した。1934年にはロンドンコヴェント・ガーデンにも登場している。

フランクフルト歌劇場時代にクレメンス・クラウスと結婚し、リヒャルト・シュトラウスの『アラベラ』、『平和の日』、『カプリッチョ』などの初演に参加し、シュトラウスをして「信頼できる歌手の中でも最も信頼できる」と言わしめた。

夫の没後は歌手活動から退き、1959年からザルツブルクモーツァルテウムで教鞭をとった。

チロル州エールヴァルト(英語版)で没した。

脚注

  1. ^ http://www.allmusic.com/artist/viorica-ursuleac-mn0002187800]
  2. ^ http://www.encyclopedia.com/article-1G2-3491813193/ursuleac-viorica.html
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