掣圏真陰流

掣圏真陰流
せいけんしんかげりゆう

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発生国 日本
発生年 1999年
創始者 佐山聡
源流 アルファ&オメガ
ボクシング
キックボクシング
アマチュアレスリング
グラップリング
総合格闘技
主要技術 当身技
投げ技
組み技
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掣圏真陰流(せいけんしんかげりゅう)は、日本の新興武道

初代タイガーマスクこと佐山聡が、プロレスを一旦引退して自ら創始した総合格闘技「修斗」と「スーパータイガージム大宮」において1996年に一切の運営から身を引いた後、師匠のアントニオ猪木と共に柔道家だった小川直也を育ててプロレスデビューさせ、その後、以前から提唱してきた市街地型実戦格闘技という名目で1999年5月に設立。旧名は掣圏道(せいけんどう)。現在は掣圏道掣圏真陰流とも言う。

概要

1999年10月2日、有明コロシアムで掣圏道協会(SWA)主催の興行「1999 WORLD BATTLE in JAPAN」を開催。この興行でSAボクシングの世界王者が4人認定された[1]

2000年3月11日、横浜アリーナにて行われた「第2回メモリアル力道山」の第6試合で掣圏道vsプロレスの異種格闘技戦「初代タイガーマスクvs藤原喜明」が行われ、初代タイガーマスクは掣圏道のスーツ型道着を着用して黒帯を締めマスクは入場時のみ着けて試合は素顔で行った。結果、10分56秒、初代タイガーマスクこと佐山は藤原のヒールホールドによるレフェリーストップで敗れた。

2000年5月9日、「アルティメットボクシング」後楽園ホール大会を開催。この時点では、まだ掣圏会館の所属選手が誕生していなかった為、全日本キック藤原道場の所属選手2名の他は全てロシア人選手、ベラルーシ人選手、キルギス人選手のみ。

2000年6月11日、「アルティメットボクシング トータルエネルギーPresents~スーパーチャリティーファイト~PRIDE vs掣圏道・全面対決!」横浜アリーナ大会を開催。

2000年10月29日、有明コロシアムで「2000 WORLD BATTLE in JAPAN」を開催。

2001年8月12日、掣圏道札幌市大会「S.W.A掣圏道ワールドアソシエーション」(北海道・札幌美香穂)を開催。ロシア人選手が中心であり、掣圏会館からの出場は無し。参加した日本人選手は全てロシア人選手にTKO負け。

2001年8月19日、掣圏道東京大会「S.W.A掣圏道ワールドアソシエーション」(東京・メッセ昭島)を開催。掣圏会館からは桜木裕司瓜田幸造が出場。桜木はヘビー級でロシア人選手のサヴィン・ニコライに判定勝ち。瓜田はライトヘビー級でロシア人選手のナグニビダ・ルスランに判定負け。SPWFからは大刀光がスーパーヘビー級で出場し、グルジア人選手のワリエフ・ジャティンにTKO負け。LLPWからは神取忍が異種格闘技戦で出場し、ロシア人選手のノヴィコワ・スベトラナに膝十字で勝利。

2001年10月1日、掣圏道東京大会「S.W.A掣圏道ワールドアソシエーション」(後楽園ホール)を開催。掣圏会館からは瓜田幸造と当時在籍していた鈴木佳が出場。瓜田はライトヘビー級でロシア人選手のミルザマゴメドフ・マゴメドに判定負け。鈴木はスーパーミドル級でアブドゥルハリモフ・ルスランとノーコンテスト。

2002年9月21日「SWAアルティメットボクシング」(埼玉・川口市民体育館)を開催。掣圏会館からは桜木裕司と瓜田幸造が出場。桜木はアンハレビチ・ヤウヘンに判定負け。瓜田はブラシュク・アリアクサンドルに判定勝ち。

2003年9月21日(日)「掣圏真陰流トーナメント」を初開催。第1回「掣圏武芸トーナメント」(東京・大田区体育館)優勝 桜木裕司(掣圏会館)、準優勝 瓜田幸造(掣圏会館)

2005年1月27日(木)第2回「掣圏真陰流市街地型護衛白兵戦トーナメント」(東京・国立代々木競技場第2体育館)優勝 瓜田幸造(掣圏会館)、準優勝 崎浜秀剛(截空道)

2005年6月9日(木)第3回「掣圏真陰流トーナメント」(東京・後楽園ホール)優勝 滝沢充(スーパータイガージム群馬)、準優勝 崎浜秀剛(截空道)

2005年9月26日(月)第4回「掣圏真陰流トーナメント」(東京・後楽園ホール)優勝 甲斐俊光(ツイスト)、準優勝 瓜田幸造(掣圏会館)

2005年12月16日(金)第5回「掣圏真陰流トーナメント」(東京・後楽園ホール)優勝 瓜田幸造(掣圏会館)、準優勝 中村勇太(和術慧舟會)

2006年3月10日(金)第6回「掣圏真陰流トーナメント」(東京・後楽園ホール)優勝 坂上崇大(IMNグラップリング)、準優勝 加藤誠(ピンクタイガーモンスター軍)

2006年6月7日(水)第7回「掣圏真陰流トーナメント」(東京・後楽園ホール)優勝 滝沢充(スーパータイガージム群馬)、準優勝 佐藤大希(MAX)

2006年9月20日(水)第8回「掣圏真陰流トーナメント」(東京・後楽園ホール)優勝 宮本裕向(暗黒プロレス666)、準優勝 山崎祐嗣(フリー)

2006年12月12日(火)第9回「掣圏真陰流トーナメント」(東京・後楽園ホール)優勝 滝沢充(スーパータイガージム群馬)、準優勝 加藤誠(ピンクタイガーモンスター軍)

2007年3月7日(水)第10回「掣圏真陰流トーナメント」(東京・後楽園ホール)優勝 花村彰(ストライプル)、準優勝 斎藤裕樹(フリー)

2007年6月8日(金)第11回「掣圏真陰流トーナメント」三つ巴戦(東京・後楽園ホール)優勝 滝沢充(スーパータイガージム群馬)、準優勝 加藤誠(ピンクタイガーモンスター軍)

2007年09月21日(金)第12回「掣圏真陰流トーナメント」(東京・後楽園ホール)優勝 高橋良明(パラエストラ八王子)、準優勝 滝沢充(スーパータイガージム群馬)

2010年10月29日、後楽園ホールで精神武道を根幹とする新生武道「武道 掣圏」第零回大会開催。興義館からは間下隼人と斎藤彰文が出場。瓜田幸造が居合の演武を行った。

2011年5月24日、後楽園ホールで「武道 掣圏」第一回武術大会を開催。興義館からは桜木裕司と間下隼人と斎藤彰文が出場。元大相撲若翔洋やプロレスラーの佐藤光留山本裕次郎タケシマケンヂや格闘家の長谷川秀彦も出場。佐山聡が居合の演武を行った。

2011年12月6日、後楽園ホールで「武道 掣圏」第二回武術大会を開催。興義館からは桜木裕司、間下隼人、斎藤彰文が出場。佐山聡が居合の演武を行った。

後に桜木、瓜田がロシアに遠征し、現地のロシア人選手に勝利している。

特徴

起源

  • 複数相手との戦いを想定したボディガードコンセプトとして創始された「市街地型実戦武道」である。
路上等で暴漢に襲われた際、相手が必ず1名とは限らず、刃物等の武器を持っている場合も考えられる為、寝技で対処している最中にもう一人の相手にやられる、もしくは寝技で対処している最中に隠し持っていた刃物で刺されるといった恐れがあることを想定して、飽くまで立技打撃を主体としており、寝技を切り捨てた格闘技術としている。
コンクリート上やアスファルト上での戦いを前提としているため、地面に叩きつけられたら敗北、寝かされたら圧倒的に不利、と判断される。
  • 佐山は1998年に「アルファ&オメガ」という2つのルールを構想し、一度「パラエストラ東京」において実験としての大会を開催しており、このアルファはスタンドでの打撃から投げ又は倒して抑え込むまでのルール、オメガはスタンドからの今でいうグラップリングだった。このアルファを原型として完成された競技が掣圏道である。

道場

  • 2000年8月26日、当初の掣圏会館本部道場が東京都昭島市の「トータルエネルギー」というガス会社の一室に常設オープンされたが、2003年に「トータルエネルギー」がスポンサーから外れて以降は昭島市の体育館を使用し本部道場としていた(指導は桜木裕司と瓜田幸造と鈴木佳)。
2006年8月25日に掣圏真陰流本部道場「興義館」として東京都文京区本郷へ本部を移動し、昭島道場(体育館を使用)は支部道場となる(昭島道場の指導は瓜田幸造)。
群馬県には渡部優一指導の「スーパータイガージム群馬道場」、千葉県には田中健一指導の「スーパータイガージム田中塾」があるが、この2つの道場は修斗時代からのオフィシャルジムだった(修斗時代は両道場とも名称が違い、「スーパータイガージム群馬道場」は「スーパータイガージム太田」から「シューティングジム北関東」を経て現在の名称に変更され、「スーパータイガージム田中塾」は「スーパータイガージム津田沼」から「総合格闘技津田沼道場」、「格闘結社田中塾」を経て現在の名称に変更された)。
初期に東京都港区六本木にも道場が出来たが短期間で閉館した。
埼玉県川口市にも「掣圏道」を看板とした「スーパータイガージム川口」が出来た。当初はスポンサーが出した常設ジムだったが、そのスポンサーが外れたため現在は川口市内の公共施設で継続されている。こちらは元プロシューターで「シューティングジム横浜」所属の土屋賢吾が掣圏道・総合格闘技を指導しており、常設ジムだった頃は渡部優一が週一で掣圏道の指導に来ており、初期の頃は田中健一も週一で指導に来ており、道場生の中にフルコンタクト空手の有段者がいた為、掣圏真陰流とは無関係ではあるが、渡部に師範代として任命され川口道場においての「空手クラス」の指導を任され、道場生が世界総極真等のフルコンタクト空手大会に出場。他には「キックボクシングクラス」「グラップリングクラス」もある。
2011年4月、東京都新宿区神楽坂にも道場が開設された。興義館はプロ専用の道場に変更され、興義館所属の一般道場生はこれに伴い全員、神楽坂道場の所属へ移管となる(指導は少しだけ佐山聡も行ったが基本的には桜木裕司と間下隼人)。

名称

  • 「掣圏道」は2004年12月に団体名を「掣圏真陰流」と変更し、興義館開設に伴い「掣圏会館」「掣圏道協会(SWA)」という名称は廃止される。「掣圏道」という言葉は看板に使われなくなっただけであり、なくなったわけではない。「掣圏道」の中の「掣圏真陰流」という意味である。佐山は昔も現在も名称をコロコロ変更したがる性格ということもあり、この辺は曖昧なところでもある。

服装

  • 試合用の道着は当初、日常における市街地での格闘を想定しているためスーツを模した特殊なものになっていた(佐山は1989年に修斗におけるサンボ着を着た「ジャケットシューティング」の大会を実験として行った時から、柔道、剣道、空手、合気道、サンボなどの道着は和服を元に作られていて現実的でないという理由により、実はこのスーツ型の道着を秘かに脳内で構想していた)。しかしこのスーツ型道着は試合中に破れやすく、2007年から合気道のような道着と袴に変更された。
「武道 掣圏」では上半身裸と袴だった。
道場での練習は空手着で行っていた。

挨拶

  • 挨拶や返事は空手と同じく「押忍」だった。
挨拶の動作は手のひらを自分側に向けて脇を絞めた特殊な敬礼だった。

掣圏士

  • 当初は掣圏道を修める人を「掣圏士」と呼んでいた。

精神

  • 佐山は「の精神を持っていない選手はやらなくていい」と述べており、掣圏真陰流の目的は「真の日本精神を復活させること」と考えており、「興義館は格闘技の道場ではない。精神基底を造る館である」として掣圏真陰流の武士道観に基づいた私塾と規定していた。

その他

  • トータルエネルギー時代は掣圏道コンセプトとは別として「寝技クラス」の時間もあった。当時は神取忍などLLPWの女子プロレスラーも出稽古に来ていた。
  • トータルエネルギー時代には佐山聡目当てのプロレスファンばかりが大勢大殺到して入門してしまい、狭い道場に入りきれないほどのプロレスファン道場生ばかりになってしまった為、初期の極真会館と同じ手法(入門したての素人であるプロレスファン道場生全員を上級者が忖度なしのガチスパーリングを以て本気の全力で完膚なきまでに叩き伏せ半殺しにし恐怖感を以て強制的に辞めさせる)で間引きが行われ、プロレスファンではない純粋に格闘技を志す道場生だけが残った。
  • トータルエネルギー時代は極真会館出身の桜木裕司が掣圏道の指導内容として極真空手の基本稽古をソックリそのまま取り入れて流用していたが、やがてキックボクシングのフォームでの基本稽古に変更された。
  • 興義館では格闘技以外にも「士禅」と呼ばれる自己催眠術のクラスもあり、佐山自身が行う「ヒプノセラピー」なる催眠セラピーも希望者を対象に個別で行われていた。
  • 神楽坂道場では、技術面で芦原空手サバキも取り入れており、稽古の一環として武士道精神論についての座学や居合術も行っていた。
  • 定期的に興義館や神楽坂道場で思想団体の講習や、佐山サトル特別講義会「プリンシプル」も行われていた。
  • 2014年、神楽坂道場が閉館。
  • 2015年3月20日、後楽園ホールにおける「リアルジャパンプロレス」の興行で佐山が初代タイガーマスクとして元横綱・と対戦した際、フライングボディプレスを受けたことにより心臓の痛みを訴え、同年5月22日、都内の病院で緊急手術を受け、最終的に「狭心症」と診断された。この体調悪化により佐山は以後、掣圏真陰流の指導を全面的にリタイアする。
  • 2020年、「佐山道場」(掣圏真陰流とは無関係のプロ専用総合格闘技道場)立ち上げに伴い興義館が閉館。サンドバッグ等、興義館の備品は全て佐山道場に移設される。

掣圏会

  • 支部道場だった瓜田幸造指導の昭島道場は、2014年頃、掣圏真陰流を行う派生団体「掣圏会」として分裂(「掣圏会」と、興義館の前身だった「掣圏会館」とは別物)。空手着と段級位制、敬礼の押忍を廃止し、通常の総合格闘技と同じ練習着となる。押忍という言葉を使う決まりも特になくなり、通常の総合格闘技ジム色が強くなる。他の総合格闘技ジムからの移籍者も多い。練習内容は特殊な競技ではなく、基本的にキックボクシング。多少グラップリングとMMAボクシングも行う。「掣圏会」はボディガードコンセプトや武士道・精神論の教義は特に行っておらず、競技に特化した、選手養成をメインに行っている立技打撃主体の総合格闘技道場である。練習場所は昭島市の体育館から(2017年から約1年半、東京都立川市のキングダム道場を間借りしていた時期もあった)東京都日野市、東京都国立市の体育館を経て、2021年6月14日に国立市にて常設道場としてオープン。2017年から道場生を様々な格闘技の試合に出場させており、2022年6月5日にプレ自主興行、2023年4月2日からSFA(掣圏会ファイティングアソシエーション)主催の自主興行「SEIKENDO」も行い、アルティメットボクシングの復活を目的に「アルティメットストライカーα」「アルティメットストライカーβ」「アルティメットストライカーPro」という3つの新たなルールを採用し、現在も盛り上がりを見せている。

段級位制

  • 白帯(初心者)
  • 黄帯(初級レベル)
  • 青帯(中級レベル)
  • 茶帯(上級レベル)
  • 紫帯(准指導員レベル)
  • 黒帯(指導員)
  • 赤帯(最高位の帯で創立者である掣圏真陰流の総監の佐山聡だけしかいなかった)

※空手の世界もそうだが、帯の色というのは飽くまで基準値であり、個人によっては下の帯の方が強い場合もあり、一概にいえるものではない。

当身技

基本的な動きはキックボクシングボクシングをベースとしたものであり、応用的に空手テコンドーの技なども使用可。
倒れた相手への上からのパンチも可。
練習は基本的にキックボクシングのミット打ちやスパーリングを中心に行う。

投げ技

レスリング系の投げでも柔道系の投げでも良いが、胴着を掴む事が禁じられている。

組み技

レスリングや柔道等、さまざまな組み技格闘技の技術を使って投げ、ニープレス等で抑え込む。
掣圏道のコンセプトでは基本的に寝技は行わない。

競技形式

  • SAボクシング(現在は廃止)
  • SAプロレス
  • ロシアンアブソリュート
  • 武道 掣圏
  • アルティメットストライカーα(掣圏会)
  • アルティメットストライカーβ(掣圏会)
  • アルティメットストライカーPro(掣圏会)

脚注

  1. ^ 藁谷浩一 掣圏道「WORLD BATTLE in JAPAN」、『ゴング格闘技』12月号・No.92・第32巻第12号通巻442号、107-109頁、日本スポーツ出版社、1999年12月23日

関連項目

外部リンク

  • 掣圏真陰流公式サイト seikenshinkageryu.official.jp
  • 佐山サトルオフィシャルサイト 掣圏真陰流 bushido.jp
  • スーパータイガージム 田中塾 - ウェイバックマシン(2007年5月15日アーカイブ分)
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