斎藤野の人

斎藤 野の人(さいとう ののひと、本名:斎藤信策(さいとう しんさく)、1878年明治11年〉4月14日 - 1909年〈明治42年〉8月6日)は、日本評論家

高山樗牛(林太郎)は兄にあたり、その死後に兄の著作をまとめて全集として発表したが、病弱だったこともあり、その兄と同じ数え32歳で生涯を閉じた。

略歴

  • 1878年(明治11年)4月14日 - 庄内藩士・斎藤親信の3男として鶴岡町(現・鶴岡市)に生まれる。
  • 1886年(明治19年) - 祖母の危篤の報に際し、高山家へ養子に行っていた兄・樗牛と初めて顔を合わせる。
  • 1890年(明治23年) - 上京し、樗牛のもとに投宿する傍ら看病にあたり、旧制第二高等学校入学。
  • 旧制第二高等学校卒業
  • 『帝国文学』の編集に参加
  • 1902年(明治35年) - 樗牛の死を看取り、埋葬を行う。
  • 1903年(明治36年) - 『帝国文学』に「斎藤野の人」名義で論文を発表。
  • 1904年(明治37年)東京帝国大学文学部独文科卒業
  • 『時代思潮』の編集に参加
  • 明治大学で教鞭を執った。
  • 1909年(明治42年)8月6日 - 死去。享年32。生涯独身であった。樗牛と同じ静岡市清水区の観富山龍華寺に埋葬されている。

出版物

著書

共編

  • 1904年1907年 - 『樗牛全集. 第1~5巻』 高山樗牛(著) 姉崎正治(編纂)博文館

親族

参考資料

外部リンク

  • 評論家 兄・樗牛の全集編集に心血注ぐー斎藤野の人 - 荘内日報社
  • 『泉鏡花とロマンチク』(『太陽』明治40年9月号掲載) - 日本ペンクラブ
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