松浦真弓

松浦 真弓(まつうら まゆみ、1965年 - )は、JAXA有人宇宙ミッション本部の元フライトディレクター(管制官)。主幹開発員[1]。日本初のフライトディレクターとして、国際宇宙ステーションへの「きぼう」やHTVの打ち上げを担当した。2019年現在は、JAXA 追跡ネットワーク技術センター SSAシステムプロジェクトチームのプロジェクトマネージャ[2][3]。旧姓は戸村[4]

経歴

短大卒業まで

1965年埼玉県草加市生まれ[4]。小学生の頃より宇宙に興味を持つ[4]。「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」の影響もあったとされる[4]カール・セーガンの科学TV番組「コスモス」を見て、将来は宇宙関連事業に参加したいと夢見るようになった[4]埼玉県立越谷北高等学校時代には女子軟式テニス部に所属した[4]。1986年に東海大学短期大学部電気通信工学科電波工学コース卒業[1][5]

NASDA入社

筑波宇宙センターとH2ロケット

1986年、当時の宇宙開発事業団(NASDA)へ女性技術者第1期生として入社する[1]。松浦が女性技術者第1期生だったのは、その時期に男女雇用均等法が施行され、NASDAでも女性技術者を採用する方針になったためである[4][6]。中央追跡管制所(現追跡ネットワーク技術センター)に配属され[2]、茨城県つくば市筑波宇宙センターの筑波中央追跡管制所で人工衛星の追跡や軌道・姿勢の計算および制御計画、ロケットの追跡等を6年半ほど担当する[1][4][6]

打上の現場へ

1992年からは打上管制部の射場運用課に勤務する[2]。1994年8月28日に打ち上げられたH2ロケット2号機では、約250名の技術スタッフの中で女性は松浦1人(当時29歳)だけであった[6]。打ち上げ当日、技術スタッフは打上班と追跡班に分かれるが、松浦は追跡班に所属し、レーダーでH2ロケットを追跡する作業に従事した[6]。打ち上げが失敗した場合、ロケットに爆破指令を送信するかどうかの判断にも加わった[6]。「緊張で胃が痛むんです」と当時の松浦は語った[6]

フライトディレクターに

きぼうの外観
国際宇宙ステーションに固定された「きぼう」

1998年より宇宙環境利用推進部(現有人宇宙環境利用ミッション本部)に転属[1][2][4]。当時の宇宙開発事業団は2004年予定の「きぼう」の打ち上げを見据えて、打上げを管理するフライトディレクター(管制官)の養成を急いでいた[5]。「きぼう」は日本初の有人宇宙施設であり、そのためにフライトディレクターが必要になった[7]。フライトディレクターといっても日本では初めてのことで、その業務内容や定義も不明なことが多かった[8]。当時主任開発員だった松浦はJAXAのフライトディレクター候補者10人の1人として選ばれる[9][5]

2000年、35歳の時に同じくフライトディレクター候補に選ばれた東覚芳夫(とうかく よしお)[10]らと共にヒューストンで半年交代でフライトディレクターの訓練を受ける[1][5][8]。松浦の研修は10人の中では最後の同年3月より開始され[9][5]若田光一らが乗るスペースシャトルや国際宇宙ステーションでの船外活動でトラブルが発生したときも、テキサス州ジョンソン宇宙センターのフライトディレクターであるチャック・ショーの横に座ってリアルタイムで指導を受けた[5]。2005年10月から「きぼう」の本格的な管制訓練を始めたが、「初めは、異常の警告が出ても即座に対応できず、そのうちに警告があちこちに広がってお手上げ状態になってばかりだった」と松浦は後に語った[11]

2007年1月、松浦は東覚芳夫と共に「きぼう」フライトディレクターに認定され、日本初のフライトディレクターとなる[4][12]。2人が受けた訓練は1998年から9年間に及んだ[13]。JAXAは、松浦と東覚に続いて、「きぼう」打ち上げまでに更に3-4人のフライトディレクターを養成するとした[12]。松浦は日本初のフライトディレクターとしての責任ついて、スポーツに例にして「第1走者の私たちが倒れたら、後にどんなエースがいても優勝できない」と表現した[7]

宇宙開発におけるフライトディレクター

フライトディレクターは、各担当部署の専門家からの意見を取りまとめ、ロケットの飛行やトラブルの対応を指揮する役職を言う[1]。アポロ13号の事故では、主任フライトディレクターのジーン・クランツ(Gene Kranz)が3名の宇宙飛行士の生還に尽力したことで注目された。NASAは有人ミッションの管制に豊富な経験を持ち、日本とは判断能力や効率の面で大きな差が存在した[7]。なお、フライトディレクターは直接宇宙飛行士とは直接会話せず、交信担当者(CAPCOM)がフライトディレクターのメッセージを媒介する制度が取られている[1]。交信担当者はフライトディレクターのすぐ横に座り、フライトディレクターの言葉として伝えられた指示だけでなく、フライトディレクターがどのような情報を元に、如何に判断したかという意図も理解して宇宙飛行士と交信する[1]。交信担当者は飛行士の性格や緊張状態まで配慮してメッセージを伝えることが求められ[1]、時折ジョークを織り交ぜてたり、気の利いたメッセージを発信することもあるが、宇宙飛行士から「早く要件を言ってくれ」と言われたり「今、なんて言った?」と返信されてガックリくることもあるという[1]

「きぼう」日本実験棟

準備

STS-127スペースシャトル・エンデバーで運ばれてきたの船外プラットフォーム。
取付作業中の船外プラットフォーム

2007年1月までに「きぼう」の主要設備が日本国内で完成した[7]。「きぼう」は国際宇宙ステーションへ3分割して3回に分けて国際宇宙ステーションへ運ばれる計画で[12]、最初に打ち上げられる船内保管室の区画も近くアメリカに運ばれる予定であった[7]。2008年2月に実験室本体、2009年1月に船外プラットホームを国際宇宙ステーションに運ばれる計画だった[7]

2007年2月から「きぼう」の管制業務のために宇宙航空研究開発機構・筑波宇宙センターに新たに作られた運用管制室で松浦と東覚の研修が始まる[13](出典によっては1月より開始)[7]。研修はNASAと合同の訓練も含まれ[13]、宇宙空間での「きぼう」の建設作業や実際に行われる無重力を利用した実験の支援など、地上から「きぼう」の運用をコントロールする手順などが確認された[13]

打ち上げと組み立て

最初の打ち上げはスペースシャトル・エンデバーが使用され、2008年1月の予定であったが[7]、諸事情によって延期され、2008年2月14日の予定になった。しかし、それもその前のスペースシャトルの発射トラブルで延期され、最終的に3月11日打ち上げられた。日本の宇宙飛行士として土井隆雄が搭乗した[7]。土井隆雄は、日本人初の船外活動である1997年に続き、2度目のシャトル搭乗であった[7]。筑波宇宙センターの「きぼう」運用管制室も3月11日より地上管制を開始し[14]、松浦が主担当フライトディレクターを務めた[1]。土井宇宙飛行士はスペースシャトルのロボットアーム(SRMS)を操作して、運んできた船内保管室を国際宇宙ステーションの仮設位置(ハーモニー天頂側の共通結合機構(Common Berthing Mechanism: CBM))に固定した[15]。第2便では東覚が指揮を執り、実験室本体が宇宙に運ばれた[7]

きぼうの打ち上げ
ミッション 打上日 シャトル名 運搬区画 作業 特記事項
STS-123 2008年3月11日(UTC エンデバー 船内保管室 船内保管室をISSに仮設置。 土井隆雄が搭乗。
STS-124 2008年5月31日(UTC ディスカバリー 船内実験室 船内実験室をISSに取り付け、仮設置だった船内保管室を船内実験室に移動させる 星出彰彦が搭乗
STS-127 2009年7月15日(UTC エンデバー 船外プラットフォーム 船外プラットフォームをISSに取り付ける。船外実験プラットフォームに船外実験設備を取り付ける。 第38次長期滞在中の若田光一が帰還

きぼうの管制業務

「きぼう」から管制室に送られてくるデータは、1万4000項目[11]。その中に異常データがあれば管制官はそれを瞬時に把握して原因を理解し、一過性の異常なのか、深刻な事態へ発展する異常なのか判断して指示する必要があった[11]。実験室本体が国際宇宙ステーションに接続されると、空調の警報が鳴った。原因は、宇宙飛行士らは綺麗で広い実験室に喜んで全員が「きぼう」の実験室に集合していたことであった。想定を超える人数が実験室に入って談笑していたので、設置されている空調設備の処理が追い付かず、湿度などが異常値を示したのであった(きぼうの船内実験室は、国際宇宙ステーションで最大の実験室であり[16]、また当時は実験用の機器が装着されておらず、内部は広々とした空間であった)。このように、打ち上げた後も、筑波の管制室が「きぼう」を管理・監視する管制業務は続く[11]。通信や電力の状況、室内の温度や気圧などについては各15-25人の5チームが、1日3交代体制で24時間365日監視する[11]。「きぼう」の管制業務は24時間体制であり、世界標準時間が基準となっており(国際宇宙ステーション自体が世界標準時間を基準としている)、3交代制で、8-16時、16-24時、0-翌朝8時までという時間割でシフト勤務体制が組まれている[1]。特に0-6時の深夜帯のシフトで業務に入るときは、昼間に睡眠をとって体を適応させておくなどの時差対策が必要であったが、子供に「なぜ昼間から寝ているのか」と不思議がられるなど家庭との両立に苦労があると述べている[1]

HTVの管制業務

H-2B5号機で打ち上げられるHTV5号機
国際宇宙ステーションに接近したHTV5号機

2011年、松浦はHTVプロジェクトチーム異動し、2012年には「こうのとり」フライトディレクターに認定される。2014年には有人宇宙技術センターに異動し、「こうのとり」および「きぼう」のフライトディレクタとして業務に当たる[1]。宇宙ステーション補給機のフライトディレクターは3名おり、その中には2008年の宇宙飛行士選抜試験のファイナリストの1人である内山崇もいた[17]。松浦は2015年8月19日にH-IIBロケット5号機で打ち上げられた「こうのとり5号機」で、主担当フライトディレクターを務めた[1]。こうのとり5号機には、直前にアメリカとロシアの補給船が相次いで打ち上げに失敗したために国際宇宙ステーションに届ることが出来なかった緊急物資として、水再生システムの交換部品(フィルタやポンプ)や生活物資の210kgがHTVのレイト・アクセス機能(打ち上げの直前であっても荷物を追加できる機能)を活用して積み込まれた[18]

筑波宇宙センターでの松浦の管制によって国際宇宙ステーションに接近したHTVを、国際宇宙ステーションに第44次長期滞在で滞在中の油井亀美也がロボットアームを操作して把持した[19]。NASAのヒューストンでの交信チーム代表に若田光一が加わり、3人の日本チームでの作業となった[19][18]。25日午前2時28分、国際宇宙ステーションとのドッキングを完了し、HTVに積載された水や食料、生活物資、実験装置など約5.5トンの貨物の積み出しは、同日午前11時半ごろ開始された[19]。松浦は「日本チームで成功できたのは感慨深い。日本人同士通じるものがあり、やりやすかった」と取材に答えた[19]油井亀美也は松浦真弓のことを姉貴分として慕い、その采配には高い信頼をおいているとされる[20]

宇宙ゴミの監視

美星スペースガードセンター

2015年、追跡ネットワーク技術センター 軌道力学チームに異動[2]。2016年、SSA(宇宙状況把握)システムプロジェクト発足にともないJAXA 追跡ネットワーク技術センター SSAシステムプロジェクトチームのプロジェクトマネージャに就任、文部科学省との宇宙ゴミの監視体制を議論する会議にも参加している[2][21]。岡山県井原市に設置予定だった美星スペースガードセンターを立ち上げ、デブリの監視・観測体制を確立させるプロジェクトを指揮する[2]。JAXAが低軌道で運動する人工衛星は2018年現在10基が運用中であるが[22]、それらは常に低軌道を中心に漂う約2万個(2018年当時)の宇宙ごみとの衝突のリスクに晒されている[22]。2007年1月には中国が自国の人工衛星をミサイルで破壊する実験を行い、宇宙ゴミの数が飛躍的に増えてしまった[7]。2016年度にはアメリカからの衝突警報に基づき人工衛星の軌道を5回修正して衝突を回避した[22]。2019年現在「美星スペースガードセンター」に設置されているレーダーでは大きさ1.6メートルまでの宇宙ゴミしか補足できず、それ以下の宇宙ゴミの接近についてはアメリカからの情報に依存していた[22]。2023年後を目途に、美星スペースガードセンターのレーダー施設に隣接して、高出力高感度のレーダー設備を新設し、特殊な信号の処理技術も採用し、既存のレーダー設備の約200倍の宇宙ゴミ探知能力を持たせる計画になっている[22]。防衛省が計画している別のレーダー施設とも連携する予定で[22]、これにより低軌道で周回している10センチ程度の宇宙ごみの監視が可能になる[22]。松浦は「日本の重要な衛星を、米国に頼らず日本で守る体制が必要だ。新レーダーはその第一歩だ」と説明した[22]

関連項目

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 日本の宇宙史を塗り替えた感動を忘れない緻密なコミュニケーションが導いた成功——JAXA有人宇宙ミッション本部・松浦真弓 2014年11月28日 ハーバード・ビジネス・レビュー DIAMOND,Inc.
  2. ^ a b c d e f g デブリと宇宙機の衝突を防ぐ JAXA 追跡ネットワーク技術センター SSA(宇宙状況把握)システムプロジェクトマネージャ 松浦真弓 JAXA 2017年3月13日 2019年11月24日閲覧
  3. ^ 宇宙航空研究開発機構 組織図 (2019年11月1日現在)
  4. ^ a b c d e f g h i j 埼玉県立越谷北高等学校同窓会 第3回:松浦真弓(13期) 2019年11月24日閲覧
  5. ^ a b c d e f [顔]NASA(米航空宇宙局)で飛行管制の訓練を受ける 松浦真弓さん 読売新聞 2000年10月24日 東京朝刊 17頁 写有 (全681字)
  6. ^ a b c d e f 宇宙センターの松浦真弓さん H2を追いかけます(気になるこの人)朝日新聞 1994年08月25日 東京夕刊 3頁 らうんじ 写図有 (全386字)]
  7. ^ a b c d e f g h i j k l 日本初の有人宇宙施設「きぼう」建設へ、試練の1年 シャトル搭乗・土井飛行士に聞く 朝日新聞 2007年01月30日 東京夕刊 11頁 科学1 写図有 (全2,598字)
  8. ^ a b 第132回 宇宙研の方向性を国際的に発信 宇宙科学国際調整主幹(国際宇宙探査センター併任)東覚芳夫 JAXA ISASニュース 2019年2月号(No.455) 掲載
  9. ^ a b ミッション成功の9割は地上の準備が決める 過酷な訓練が「想定外」に動じない心を養う——JAXA有人宇宙ミッション本部・松浦真弓:JAXA 有人宇宙ミッション本部 有人宇宙技術センター 主幹開発員 2014年11月27日 ハーバード・ビジネス・レビュー DIAMOND,Inc.
  10. ^ 2017年より宇宙科学国際調整主幹
  11. ^ a b c d e [宇宙で暮らす](3)若田さん守る、つくばの100人(連載)2007年03月01日 読売新聞 東京朝刊 37頁 写有 (全1,375字)
  12. ^ a b c 「きぼう」管制責任者を任命=打ち上げに向け準備本格化-宇宙機構 2007.01.19 時事通信 (全448字)
  13. ^ a b c d 国際宇宙ステーション・実験棟「きぼう」 地上管制官2人決まる 2007年01月19日 NHKニュース Gサーチ (全563字)
  14. ^ 「きぼう」日本実験棟船内保管室の組立て及び土井宇宙飛行士の活動状況について 平成20年3月19日 宇宙航空研究開発機構 有人宇宙環境利用プログラムグループ 2019年12月6日閲覧
  15. ^ 「きぼう」日本実験棟 船内保管室搭載及び土井宇宙飛行士搭乗のスペースシャトル「エンデバー号」(STS-123)の国際宇宙ステーション(ISS)とのドッキングについて 平成20年3月13日 宇宙航空研究開発機構
  16. ^ 国際宇宙ステーションと日本実験棟「きぼう」の特徴 JAXA 2019年12月6日閲覧
  17. ^ 同級生対談 大西卓哉宇宙飛行士×内山崇フライトディレクタ ライバルから同志へ。選抜試験と宇宙飛行のリアル 三菱電機 2019年11月24日閲覧
  18. ^ a b “油井さん「日の丸誇らしい」 こうのとりドッキング成功 信頼性の高さ証明” (2015年8月25日). 2015年10月19日閲覧。
  19. ^ a b c d “日本チーム、こうのとりドッキング成功「感慨深い」” (2015年8月25日). 2019年11月27日閲覧。
  20. ^ 142日間の宇宙生活 油井宇宙飛行士がギモン解決 FNN
  21. ^ 宇宙開発利用部会(第31回) 議事録 文部科学省 平成28年11月17日 2019年11月24日閲覧
  22. ^ a b c d e f g h 10センチの宇宙ごみ監視 JAXA 新レーダー製造へ 読売新聞 2018年01月08日 東京朝刊 1頁 表有 (全995字)

外部リンク

  • 142日間の宇宙生活 油井宇宙飛行士がギモン解決 FNN - 6分10秒あたりより松浦のインタビュー動画あり - YouTube
2022
大賞

中島瑞木(coly 代表取締役社長)
中島杏奈(coly 代表取締役副社長)

世界に希望を紡ぐ科学者賞

岩崎明子(米イェール大学医学部 免疫学教授)

理系の新・ロールモデル賞

平澤聡美(東洋合成工業 取締役・感光材事業部長)

思いやり経営賞

藤﨑忍ドムドムフードサービス 代表取締役社長)

子育てダイバーシティ賞

北川聡子(社会福祉法人 麦の子会 理事長・総合施設長)

心の揺らぎサポート賞

櫻本真理(cotree/コーチェット 代表取締役)

途上国の自立支援に貢献賞

田口愛(Mpraeso合同会社 CEO)

循環型社会へのイノベーター賞

坂野晶(一般社団法人ゼロ・ウェイスト・ジャパン 代表理事)

2021
大賞

端羽英子(ビザスク 代表取締役CEO)

受賞

米良はるかREADYFOR 代表取締役CEO)

受賞

尾形優子(メロディ・インターナショナル CEO)

受賞

村本理恵子(ピーステックラボ 代表取締役社長)

受賞

佐野環(キリンホールディングス執行役員、ヘルスサイエンス事業部長)

受賞

山野千枝(一般社団法人ベンチャー型事業承継 代表理事)

受賞

中村有沙(オアシススタイルウェア 代表取締役)

2020
大賞
準大賞

長嶋愛(日本放送協会 ディレクター)

受賞

石川賀代(社会医療法人 石川記念会理事長、石川ヘルスケアグループ 総院長)

受賞

片岡真実森美術館 副館長兼チーフ・キュレーター)

受賞

林有理(大阪府四條畷市 副市長

受賞

平田麻莉(一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会 代表理事)

受賞

水越由利子(江崎グリコマーケティング本部 ベビー・育児マーケティング部 ブランドマネージャー)

特別賞

近藤麻理恵(片づけコンサルタント)

2019
大賞

中村朱美(minitts 代表取締役)

再出発サポート賞

川口加奈(NPO法人Homedoor 理事長)

新・事業承継モデル賞

丹後佳代(丹後 取締役)

世界の子供を守る賞
ブレイクドラマ制作賞

貴島彩理テレビ朝日総合編成局ドラマ制作部 プロデューサー)

イノベーティブ起業家賞

平野未来(シナモン CEO)

日本を伝えるメディア賞

末松弥奈子ジャパンタイムズ 代表取締役会長)

子育て支援サポート賞

高塚清佳(新生企業投資 インパクト投資チーム シニアディレクター)
黄春梅(新生企業投資 インパクト投資チーム シニアディレクター)

特別賞

小平奈緒(スピードスケート選手)

2018
大賞

末延則子(ポーラ 執行役員)

人生100年時代のロールモデル賞

若宮正子(アプリ開発者)

働き方改革サポート賞

和田幸子(タスカジ 代表取締役)

超高齢化社会の希望賞

矢田明子(Community Nurse Company 代表取締役)

共感型プロモーション賞

和気洋子(ヤフー コーポレートコミュニケーション本部 ブランドマネジメント室リーダー)

「アストロウーマン」の道開拓賞

伊藤美樹(アストロスケール 代表取締役社長)

特別賞

中満泉国際連合 事務次長・軍縮担当上級代表)
伊達公子(元プロテニスプレーヤー)

2017
大賞

弭間友子(東宝 映像本部 映像事業部 アニメ事業グループ 宣伝プロデューサー)

デザインものづくり賞

林千晶ロフトワーク 代表取締役)

「ドボジョ」キャリア開拓賞

大西陽子(大林組 海外支店ジャカルタ高架橋工事事務所所長)

食ビジネス革新賞

小林せかい(未来食堂 代表)

イノベーティブものづくり賞

小島由香(FOVE CEO)

子育て家庭応援ビジネス賞

馬場加奈子(サンクラッド 代表取締役)

チーム2017賞

秋山正子(NPO法人マギーズ東京 共同代表理事・マギーズ東京センター長)
鈴木美穂(NPO法人マギーズ東京 共同代表理事)

2016
大賞

須永珠代トラストバンク 代表取締役社長)

メガヒットメーカー賞

浅井茉莉子(文藝春秋 『文學界』編集部)

次世代ものづくり賞

中澤優子(UPQ CEO 代表取締役)

ベストマーケッター賞

藤原かおり(カルビー マーケティング本部 フルグラ事業部 事業部長)

未来をつくるサイエンティスト賞

髙橋政代(理化学研究所 多細胞システム形成研究センター網膜再生医療研究開発プロジェクト プロジェクトリーダー・眼科医)

情熱経営者賞

石坂典子(石坂産業 代表取締役)

チェンジメーカー賞

村木真紀(特定非営利活動法人虹色ダイバーシティ 代表)

2015
大賞
準大賞〈リーダー部門〉

玉城絵美(H2L株式会社 チーフリサーチャー)

準大賞〈キャリアクリエイト部門〉

山上遊(LIXIL総合研究所 新事業創造部グローバル環境インフラ研究室 主幹)

入賞〈リーダー部門〉

堀田聰子(独立行政法人 労働政策研究・研修機構 研究員)
森本咲子(ユー・エス・ジェイ マーケティング部プロダクト担当部長)

入賞〈キャリアクリエイト部門〉

大森智子(Go Go Curry USA, Inc. President & CEO)
御手洗瑞子(株式会社気仙沼ニッティング 代表取締役社長)

入賞〈ヒットメーカー部門〉

川村有里(シャープ 健康・環境システム事業本部 調理システム事業部 商品企画部 係長)
小林靖子(脚本家)
横手莉加(ライオン株式会社 ヘルス&ホームケア事業本部ビューティケア事業部)

2014
大賞<キャリアクリエイト部門>
準大賞<リーダー部門>

片田江舞子(株式会社東京大学エッジキャピタル パートナー)

準大賞<ヒットメーカー部門>

岩倉暢子日本放送協会 デザインセンター 映像デザイン部)

入賞<リーダー部門>

山田由佳(パナソニック 先端技術研究所 エコマテリアル研究グループ グループマネージャー)

入賞<ヒットメーカー部門>

川上登美子(資生堂 国際事業部 アジアパシフィック営業部)
藤代智春(ピップ 商品開発事業本部 マーケティング部)

入賞<キャリアクリエイト部門>

坪内知佳(萩大島船団丸 代表)
田中知美(合同会社エッジ 代表 合同会社ドリームオン 代表)
吉田正子(東京海上日動火災保険株式会社 執行役員 旅行業営業部長)

2013
大賞<リーダー部門>

諏訪貴子ダイヤ精機 代表取締役)

準大賞<ヒットメーカー部門>

白井明子(ローソン 広告販促企画部 兼CRM推進部アシスタントマネジャー)

準大賞<リーダー部門>

坪内南(一般財団法人 教育支援グローバル基金 理事・事務局長)

リーダー部門入賞

阿部玲子(オリエンタルコンサルタンツ GC事業本部軌道交通部 部長)
関根近子(資生堂 執行役員 美容統括部長ビューティークリエーション担当、資生堂学園担当)

入賞<ヒットメーカー部門>

稲垣あゆみ(NHN Japan株式会社 ウェブサービス本部 UXデザイン室 UXチーム)
久米さやか(サントリー食品インターナショナル 食品事業本部 食品事業部 ブランド戦略部)

入賞<キャリアクリエイト部門>

遠藤貴子(株式会社つ・い・つ・い 代表取締役)
櫻井千秋(大塚製薬 常務執行役員ニュートラシューティカルズ事業部コスメディクス事業部門担当リーダー)
鮫島弘子(andu amet (アンドゥ アメット) 代表取締役)

2012
大賞

石井美恵子(日本看護協会 看護研修学校 認定看護師教育課程 救急看護学科 主任教員)

準大賞

森本千絵(goen゜主宰 コミュニケーションディレクター アートディレクター)

準大賞

瀬谷ルミ子(特定非営利活動法人 日本紛争予防センター 事務局長)

リーダー部門入賞

野坂千秋(味の素 執行役員 食品事業本部 食品研究所 商品開発センター長)

リーダー部門入賞

服部道江(大林組 新タワー建設工事事務所 副所長)

ヒットメーカー部門入賞

東文恵(アテックス 商品開発部 部長)

ヒットメーカー部門入賞

橋本芙美共同テレビジョン 制作センター第1制作部 プロデューサー)

キャリアクリエイト部門入賞

塚本良江(NTTコミュニケーションズ アプリケーション&コンテンツサービス部 マーケティングソリューション部門 部門長)

ヒットメーカー部門入賞

安田玲美(CRC世研有限公司 総経理)

特別賞
2011
大賞 1位

福島理恵子(東芝 研究開発センターマルチメディアラボラトリー 主任研究員兼エコテクノロジー推進室参事)

2位

大石亜紀子(スタートトゥデイ 取締役(想像戦略室・フルフィルメント本部担当))

3位

清水季子日本銀行 高松支店長)

4位

日置真世(北海道大学大学院教育学研究院附属子ども発達臨床研究センター助手/NPO法人地域生活支援ネットワークサロン理事兼事務局顧問)

5位

屋代浩子(フォルシア 代表取締役社長・最高経営責任者)

6位

五十嵐麻子(飛鳥新社 出版部 第三編集)

7位

青木計世(キューデン・エコソル 常務取締役)

8位

長谷川歩(バンダイ ボーイズトイ事業部 ホビーチーム)

9位

熨斗麻起子(中国・深圳 可宝得環保技術有限公司 総経理)

10位

小林麻美(日本コカ・コーラ マーケティング本部 ウォーターカテゴリーウォーターグループマネジャー)

ヒットメーカー部門

二宮恭子(ポーラ 商品企画部 課長)
仁平知世(東宝 映像本部 映画企画部 プロデューサー)

キャリアクリエイト部門

白木夏子(株式会社HASUNA 株式会社HASUNA 代表取締役)
高橋啓子(米国サンフランシスコのフランス料理店「EL PASEO」エグゼクティブ・シェフ)

2010
大賞 1位<リーダー部門>

西郷真理子(都市計画プランナー/株式会社まちづくりカンパニー・シープネットワーク代表取締役)

2位<リーダー部門>

小竹貴子(クックパッド 執行役)

3位<キャリアクリエイト部門>

清村千鶴(ファイザー 執行役員)

4位<リーダー部門>

関西佳子(水間鉄道 代表取締役社長)

5位<ヒットメーカー部門>

梶原奈美子(キリンビール マーケティング部 商品開発研究所 新商品開発グループ)

6位<キャリアクリエイト部門>

和崎揚子(日本郵船 経営委員)

7位<リーダー部門>

渡邊智恵子(株式会社アバンティ 代表取締役)

8位<ヒットメーカー部門>

呉裕利子(花王 ファブリック&ホームケア事業ユニット ファブリックケア事業グループ シニア開発マネージャー)

9位<リーダー部門>

高橋泉(KSGグループ CEO)

10位<ヒットメーカー部門>

吉本光里(松竹 映画宣伝部 宣伝企画室 宣伝プロデューサー)

今年の顔

福島みずほ(内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、少子化対策、男女共同参画)
湊かなえ(作家)

2009
大賞 1位<ヒットメーカー部門>

白井恵美(ユニクロ 執行役員 商品本部 ウィメンズMD部 部長)

2位<リーダー部門>

石黒不二代ネットイヤーグループ ネットイヤーグループ 代表取締役社長 兼 CEO)

3位<ヒットメーカー部門>

田渕久美子(脚本家)

4位<キャリアクリエイト部門>

神崎夕紀(キリンビール 栃木工場 醸造担当 部長)

5位<キャリアクリエイト部門>

須田久美子(鹿島建設 東京土木支店裏高尾JV工事事務所 副所長)

6位<ヒットメーカー部門>

岡田圭子(シナリオライター)

7位<リーダー部門>

中橋恵美子(シャープ 健康・環境システム事業本部 調理システム事業部長)

8位<リーダ-部門>

相幸子(三菱UFJ信託銀行 フロンティア戦略企画部 環境室 室長)

9位<リーダー部門>

松浦真弓(宇宙航空研究開発機構 JEM運用プロジェトチーム フライトディレクタ)

10位<ヒットメーカー部門>

吉本光里(ワニブックス書籍編集部 主任)

特別賞

上野由岐子2008年北京オリンピック ソフトボール日本代表)

話題賞

勝間和代(経済評論家)

2008
大賞 1位<リーダー部門>

野尻知里テルモ 執行役員 テルモハート社 社長)

2位<リーダー部門>

永谷亜矢子東京ガールズコレクション 実行委員会 チーフプロデューサー)

3位<リーダー部門>

松場登美(石見銀山生活文化研究所 取締役所長)

4位<キャリアクリエイト部門>

小島幸子(クメール アンコール フーズ 代表取締役社長)

5位<ヒットメーカー部門>

海老澤香織(花王 ビューティケア事業ユニット プレミアム・ヘアケアグループ インバスグループ)

6位<ヒットメーカー部門>

中園ミホ(シナリオライター)

7位<リーダー部門>

松村文代(東芝 産業システム社 事業開発推進統括部 課長代理)

8位<リーダ-部門>

吉高まり(三菱UFJ証券 クリーン・エネルギー・ファイナンス委員会 主任研究員)

9位<ヒットメーカー部門>

遠藤千咲(タカラトミー マーケティング統括本部 ニュープロダクトチーム)

10位<キャリアクリエイト部門>

橘田佳音利(フラジュテリー 代表取締役社長)

特別賞

菊地凛子(女優)

2007
大賞 1位<リーダー部門>

南場智子ディー・エヌ・エー 代表取締役社長)

2位<リーダー部門>

宮井真千子松下電器産業 クッキング機器ビジネスユニット長)

3位<リーダー部門>

中村利江夢の街創造委員会 代表取締役社長)

4位<キャリアクリエイト部門>

橋本真由美ブックオフコーポレーション 代表取締役社長兼COO)

5位<ヒットメーカー部門>

中川潤子シャープ 情報通信事業本部 通信融合端末事業部 第1商品企画部部長)

6位<リーダー部門>

大石佳能子(株式会社メディヴァ 代表取締役)

7位<キャリアクリエイト部門>

根本かおる国連難民高等弁務官事務所(UNHCR) ネパール・ダマク駐在事務所所長)

8位<リーダ-部門>

清岡久幸(株式会社タケックス・ラボ 代表取締役)

9位<ヒットメーカー部門>

鈴木里佳(三洋電機 パワーグループ モバイルエナジーカンパニー マーケティング部 マーケティング課 主任)

10位<ヒットメーカー部門>

横井千香子(クレディセゾン 取締役クレジット本部副本部長)

特別賞

荒川静香(プロフィギュアスケーター)

2006
大賞 1位<リーダー部門>

木山啓子(インテグレックス NPO法人ジェン(JEN)理事・事務局長)

2位<キャリアクリエイト部門>

林文子ダイエー 代表取締役会長 兼 CEO)

3位<リーダー部門>

秋山咲恵(サキコーポレーション 代表取締役社長)

4位<ヒットメーカー部門>

郡司裕子(新潮社 出版部 文芸第二編集部副編集長)

5位<リーダー部門>
6位<リーダー部門>

南場智子ディー・エヌ・エー 代表取締役社長)

7位<リーダー部門>

秋池玲子産業再生機構 マネージングディレクター)

8位<リーダ-部門>

奥キヌ子( レキオファーマ 代表取締役社長)

9位<ヒットメーカー部門>

平岡利枝(三菱電機 冷蔵庫製造部冷蔵庫先行開発グループマネージャー)

10位<ヒットメーカー部門>

高橋美由紀(日産自動車 マーケティング本部マーケティングダイレクターオフィス マーケティング・ダイレクター)

特別賞

宮里藍(プロゴルファー)

話題賞

中島美嘉(アーティスト)

2005
大賞 1位<リーダー部門>

秋山をね(インテグレックス 代表取締役)

2位<ヒットメーカー部門>

丸田智子国際メディア・コーポレーション 映像事業部 シニアマネージャー)

3位<リーダー部門>

水越洋子(ビッグイシュー日本版 編集長)

4位<リーダー部門>

岩宮陽子(飾一 代表取締役社長)

5位<リーダー部門>

内出幸美(気仙デーサービスセンターグループホーム「ひまわり」総所長)

6位<リーダー部門>

関幸子(まちづくり三鷹 事業部企画事業 グループマネジャー)

7位<リーダー部門>

坂東敬子(ワコール ワコールブランド事業本部 コンフォートプロデューサー)

8位<ヒットメーカー部門>

荒金久美(コーセー 商品開発部部長)

9位<ヒットメーカー部門>

齋藤未来(ナムコ チームナンジャ「自由が丘スイーツフォレスト」ストアディレクター)

10位<キャリアクリエイト部門>

金城祐子(グレイスラム代表取締役社長)

2004
大賞 1位<リーダー部門>

唐木幸子オリンパス ライフサイエンスカンパニーゲノム医療事業推進室グループリーダー)

2位<リーダー部門>

浅川智恵子日本IBM 東京基礎研究所 アクセシビリティーリサーチ グループリーダー)

3位<リーダー部門>

野田由美子(プライスウオーターハウスクーパース・フィナンシャル・アドバイザー・サービス パートナー)

4位<ヒットメーカー部門>

本間絹子電通 コピーライター/CMプランナー)

5位<リーダー部門>

岸谷美穂(ピースウィンズ・ジャパン 海外事業部 前クルド人自治区コーディネーター)

6位<リーダー部門>

名取美和(タイ・チェンマイHIV感染孤児施設「バーンロムサイ」代表)

7位<キャリアクリエイト部門>

新井順子(資生堂[要出典] フランスワイン醸造家)

8位<ヒットメーカー部門>

星野有香(ギャガ・コミュニケーションズ ギャガ・ディストリビューション・カンパニーバイスプレジデント)

9位<ヒットメーカー部門>

井上由美子(脚本家)

10位<今年の顔>

杉山愛(プロテニスプレーヤー)

2003
大賞 1位<リーダー部門>

小川善美インデックス代表取締役社長)

2位<リーダー部門

惣万佳代子(NPO法人このゆびとーまれ代表)

3位<キャリアクリエイト部門>

堀木エリ子(堀木エリ子&アソシエイツ代表 和紙プロデューサー)

4位<ヒットメーカー部門>

池田香代子(翻訳家 口承文芸研究家)

5位<ヒットメーカー/リーダー部門>

加治木紀子(オフィスノア代表取締役)

6位<リーダー部門>

小出寛子(日本リーバ取締役 粧業品マーケティング本部長)

7位<今年の顔>

上原彩子(ピアニスト)

8位<リーダー部門>

飯田桂子(シグノシステムジャパン代表取締役社長)

9位<リーダー部門>

藤井絢子(菜の花プロジェクトネットワーク代表)

10位<今年の顔>

元ちとせ(歌手)

特別賞<今年の顔>

高橋尚子(マラソン選手)

2002
大賞 1位<リーダー部門>
2位<ネット部門>

宮田由美子

3位<リーダー部門>

木山啓子

4位<ヒットメーカー部門>

藪ゆき子

5位<リーダー/ネット部門>

小川義美

6位<ヒットメーカー部門>

中山千恵子

7位<ネット部門>

関根千佳

8位<カルチャー部門>
9位<キャリアクリエイト部門>

森木千津美

10位<カルチャー部門>
2001
大賞 1位<ヒットメーカー部門>
2位<リーダー部門>
3位<リーダー部門>
4位<脱・事務部門>

池田章子

5位<カルチャー部門>
6位<ネット部門/リーダー部門>

村本理恵子

7位<リーダー部門>
8位<ヒットメーカー部門>
9位<ネット部門>
10位<カルチャー部門>
2000
大賞 1位<ヒットメーカー部門>
2位<キャリア・起業家部門>

筑紫みずえ

3位<ヒットメーカー部門>

渡辺加奈

4位<カルチャー部門>
5位<キャリア・起業家部門>

斉藤裕美

6位<ヒットメーカー部門>
7位<脱・事務部門>

瀬川祐代

8位<カルチャー部門>
9位<キャリア・起業家部門>
10位<ヒットメーカー部門>

川口美也