林 忠明(はやし ただあき 1920年1月2日 - 2017年8月29日)は、神奈川県秦野市出身の元卓球選手。
経歴
12歳のときに卓球を始めた。1940年に汎太平洋卓球大会の日本代表に選ばれて国際試合に出場したが太平洋戦争の勃発で歩兵部隊の幹部として満州や南方戦線を転戦した[1]。
復員後、1946年に全日本軟式で優勝[2]、1950年には全日本卓球選手権のシングルスで優勝、日本初参加となった1952年にインドのボンベイで行われた世界卓球選手権で藤井則和とのペアで男子ダブルス優勝している[3]。このとき渡航費用として40万円がかかったが半分の20万円は自己負担したという[1]。
晩年は荒川区で卓球用品の会社を経営していた[1]。
2017年8月29日逝去[4]。
主な戦績
プレースタイル
カット打ちの名手であった[3][5]。
脚注
[脚注の使い方]
- ^ a b c “戦争で九死に一生を得、日本で初めて、世界選手権に優勝”. 荒川区地域振興公社. 2010年5月25日閲覧。
- ^ “全日本軟式卓球選手権大会”. 日本卓球協会. 2010年5月25日閲覧。
- ^ a b “関学で唯一世界選手権に出場した藤井則和OB(故人)”. 関西学院大学卓球部. 2010年5月25日閲覧。
- ^ 卓球王国WEB | 『伝説のプレーヤーたち 林忠明 Vol.2(1/2)』
- ^ “英国のバーグマンとリーチ”. 別府市卓球連盟. 2010年5月25日閲覧。
外部リンク
- 林忠明 ITTFデータベース (英語)
- 世界卓球選手権で日本が4種目制覇 (毎日新聞)
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1930年代 | - 36 中川武夫
- 37 渡辺重五
- 38 今孝
- 39 今孝
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- 2018年までは年度表記
- 男子単
- 女子単
- 男子複
- 女子複
- 混合複
- Jr男子
- Jr女子
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1930年代 | - 36 山田孝次郎・田村金造
- 37 川村澄・堀川稔
- 38 今孝・須山末吉
- 39 今孝・須山末吉
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1940年代 | - 40 崔根恒・西山恵之助
- 41-45 中止
- 46 西山恵之助・西村博義
- 47 門尾豊徳・伊藤守之助
- 48 林忠明・南波好宏
- 49 藤井則和・上西康彦
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1950年代 | - 50 松山博夫・山田清治
- 51 溝畑司呂・井原照雄
- 52 古沢吉之介・中恒造
- 53 荻村伊智朗・山田政功
- 54 長浜好人・広瀬浩一
- 55 野平明雄・津野達雄
- 56 荻村伊智朗・田中利明
- 57 坂井昭一・佐原睦男
- 58 石橋征・山本義徳
- 59 村上輝夫・渋谷五郎
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- 2018年までは年度表記
- 男子単
- 女子単
- 男子複
- 女子複
- 混合複
- Jr男子
- Jr女子
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