1770年
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 17世紀 - 18世紀 - 19世紀 |
十年紀: | 1750年代 1760年代 1770年代 1780年代 1790年代 |
年: | 1767年 1768年 1769年 1770年 1771年 1772年 1773年 |
1770年(1770 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
他の紀年法
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凡例
- 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
- 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。
- 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。
- 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
- 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
- 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
- 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
- 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
- 干支 : 庚寅
- 日本
- 中国
- 朝鮮
- ベトナム
- 仏滅紀元 : 2312年 - 2313年
- イスラム暦 : 1183年 - 1184年
- ユダヤ暦 : 5530年 - 5531年
- ユリウス暦 : 1769年12月21日 - 1770年12月20日
カレンダー
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できごと
- 1月28日、イギリスでノース卿を首相とする内閣が成立(-1782年)
- 3月5日、ボストン虐殺事件が起こり、五人が亡くなる。
- 4月 - 徒党強訴逃散の高札、密告者を褒賞する。
- 4月20日、ジェームズ・クックらがオーストラリア東岸に到達。
- 4月29日、ジェームズ・クック一行がオーストラリア東岸に上陸。イギリス領と宣言。
- 5月23日(明和7年4月28日) - 後桜町天皇が譲位し、第118代後桃園天皇が即位。
- 8月21日 - ジェームズ・クックがオーストラリア東部に対するイギリス領有権を正式に主張。ニューサウスウェールズと命名。
- 9月17日(明和7年7月28日) - 日本各地でオーロラが目撃される。
- イギリス、イラクのバスラに拠点を置く。
- フランス東インド会社解散。
- レクセル彗星が観測される。
誕生
「Category:1770年生」も参照
- 1月10日 - シャルル・アンドレ・メルダ、フランス革命・第一帝政期の軍人(+ 1812年)
- 1月25日 - フランシス・バーデット、イギリスの政治家(+ 1844年)
- 2月22日(明和7年1月27日) - 鈴木牧之、随筆家(+ 1842年)
- 3月2日 - ルイ=ガブリエル・スーシェ、ナポレオン戦争期のフランス軍元帥(+ 1826年)
- 3月20日 - フリードリヒ・ヘルダーリン、詩人(+ 1843年)
- 4月2日 - アレクサンドル・ペション、ハイチ大統領(+ 1818年)
- 4月7日 - ウィリアム・ワーズワース、詩人(+ 1850年)
- 4月9日 - トーマス・ゼーベック、物理学者(+ 1831年)
- 4月11日 - ジョージ・カニング、イギリス首相(+ 1827年)
- 4月17日 - マーロン・ディカーソン、アメリカ合衆国海軍長官(+ 1853年)
- 5月10日 - ルイ=ニコラ・ダヴー、フランス軍元帥(+ 1823年)
- 6月3日 - マヌエル・ベルグラーノ、アルゼンチンの政治家(+ 1820年)
- 6月7日 - 第2代リヴァプール伯爵ロバート・バンクス・ジェンキンソン、イギリス首相(+ 1828年)
- 6月24日 - アルプレヒト・ベルブリンガー、発明家・航空研究家(+ 1829年)
- 8月1日 - ウィリアム・クラーク、探検家(+ 1838年)
- 8月3日 - フリードリヒ・ヴィルヘルム3世[1]、プロイセン王(+ 1840年)
- 8月27日 - ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル[2]、哲学者(+ 1831年)
- 10月22日(明和7年9月4日) - 小笠原忠固、第6代小倉藩主(+ 1843年)
- 11月16日 - エティエンヌ・ピヴェール・ド・セナンクール、小説家(+ 1846年)
- 11月19日 - アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン、ロシア海軍の提督(+ 1846年)
- 12月16日頃 - ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、作曲家(+ 1827年)
- 12月26日 - ピエール・カンブロンヌ、フランス革命・ナポレオン戦争期の軍人(+ 1842年)
- 月日不詳 - 永樂了全、陶芸家(+ 1841年)
- 月日不詳 - リュシル・デュプレシ、カミーユ・デムーランの妻(+ 1794年)
死去
「Category:1770年没」も参照
- 2月12日 - クリストファー・ミドルトン、航海者・探検家(* 17世紀末)
- 2月26日 - ジュゼッペ・タルティーニ、作曲家(* 1692年)
- 3月11日(明和7年2月14日) - 大石大三郎、広島藩士(* 1702年)
- 3月27日 - ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ、画家(* 1696年)
- 4月28日 - マリー・カマルゴ、バレエダンサー(* 1710年)
- 5月9日 - チャールズ・エイヴィソン、作曲家(* 1709年)
- 5月22日 - ゾフィー・マグダレーネ・フォン・ブランデンブルク=クルムバッハ、デンマーク王クリスチャン6世の妃(* 1700年)
- 5月30日 - フランソワ・ブーシェ、画家(* 1703年)
- 6月21日 - ウィリアム・ベックフォード、ロンドン市長(* 1709年)
- 7月2日(明和7年6月10日) - 鍋島重茂、第7代佐賀藩主(* 1733年)
- 7月7日(明和7年6月15日) - 鈴木春信、浮世絵師(* 1725年)
- 7月14日(明和7年6月22日) - 京極宮公仁親王、日本の皇族(* 1733年)
- 7月24日(明和7年閏6月2日) - 藤堂高悠、第8代津藩主(* 1751年)
- 8月24日 - トーマス・チャタートン、詩人(* 1752年)
- 9月30日 - ジョージ・ホウィットフィールド、イングランド国教会の牧師(* 1714年)
- 10月18日(明和7年8月30日) - 朽木玄綱、江戸幕府寺社奉行・第5代福知山藩主(* 1709年)
- 11月13日 - ジョージ・グレンヴィル、イギリス首相(* 1712年)
- 月日不詳 - ロバート・ピトケアン、ピトケアン島発見者(* 1752年)
脚注
注釈
出典
[脚注の使い方]
- ^ Frederick William III king of Prussia Encyclopædia Britannica
- ^ Georg Wilhelm Friedrich Hegel German philosopher Encyclopædia Britannica
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、1770年に関連するカテゴリがあります。