1905年の政治

1905年
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1905年の政治(1905ねんのせいじ)では、1905年明治38年)の政治分野に関する出来事について記述する。

できごと

1月

水師営の会見 中央左からレース露参謀長、乃木大将、ステッセル将軍、伊地知幸介参謀長
血の日曜日事件。10万人の大群衆に向かって軍隊は銃火を浴びせた。

2月

3月

4月

戦艦三笠の艦橋に立つ東郷平八郎司令長官

5月

6月

  • 6月1日 - 高平小五郎駐米公使、ルーズベルト大統領に講和の斡旋を依頼。ルーズベルトは、ニコライ2世に打診する。
  • 6月3日 - モロッコスルタン、アブデルアジズAbdelaziz of Moroccoがドイツの示唆を受け、モロッコの国制改革に関する国際会議に列国を招請する。
  • 6月6日 - テオフィル・デルカッセ仏外相、モロッコ問題で閣僚の批判を浴びて辞任。
  • 6月7日 - ノルウェースウェーデンとの国家連合(同君連合)を解消し、独立を宣言する。
    6月27日、黒海艦隊戦艦ポチョムキンで水兵による反乱が勃発する。
  • 6月8日 - ルーズベルト米大統領、日露両国に講和会議開催を呼びかける。
  • 6月10日 - 日本政府、講和会議開催を受諾。
  • 6月12日 - ロシア政府、講和会議開催を受諾。
  • 6月19日 - 対露同志会、講和問題同志連合会を結成。
  • 6月27日 - 露戦艦ポチョムキン=タヴリーチェスキー公で水兵反乱を起こす。
  • 6月28日 - 露で港湾にゼネスト、暴動が拡大。

7月

8月

ロシアでドゥーマ(国会)が開催。画像は議事堂となったサンクトペテルブルクタヴリーダ宮殿

9月

10月

ロシア第一革命を描いた1905年10月17日イリヤ・レーピン画)

11月

韓国駐箚日本軍司令官長谷川好道陸軍大将と共に統監府へ向かう伊藤博文(11月29日撮影)

12月

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