北畠教真

北畠 教真(きたばたけ きょうしん、1904年8月18日[1] - 1969年2月14日)は、浄土真宗本願寺派僧侶政治家参議院議員(2期)。

経歴

福岡県出身。1928年龍谷大学文学部を卒業後、ベルリン大学ライプツィヒ大学に留学。山形県天童市の善行寺住職を継承した後に本願寺派の社会部長、教育部長、総務部長を歴任。築地本願寺輪番ならびにあそか病院長、津村別院輪番、宗会議長、全日本仏教会事務総長なども務めた。1954年ビルマにおける世界仏教徒会議では日本代表となった。

1956年第4回参議院議員通常選挙全国区から無所属で立候補したが落選した[2]第5回第7回の参議選に自由民主党から全国区で立候補し当選[3][4]行政管理庁政務次官、党副幹事長を務めた。文教系議員であり、平城京跡の国による買い上げを推進した。1963年にはベオグラードでの第52回列国議会同盟会議に出席。

1969年2月14日死去、64歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、従四位に叙される[5]。同月26日の参議院本会議では日本社会党の小林武が追悼演説した。

エピソード

趣味は歌唱で、童謡『月の沙漠』を歌って涙するような情緒豊かな面があった。一方、柔道8段(講道館)の腕前でもあり、「北畠教真か、石黒敬七か」と並び称された[誰によって?]

脚注

  1. ^ 『大衆人事録 第19版 東京篇』283頁。
  2. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』546頁。
  3. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』547頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』550頁。
  5. ^ 『官報』第12650号13-14頁 昭和44年2月17日号

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第19版 東京篇』帝国秘密探偵社、1956年。
  • 『激動の日本政治史』阿坂書房、1979
  • 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990
  • 1969年2月26日の参議院本会議における追悼演説
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
大矢正
日本の旗 参議院建設委員長
1962年 - 1963年
次代
中野文門
第1回
(定数100)
3年議員
偶数回
第2回
(定数50)
3年議員
第4回
(定数50)
3年議員
第6回
(定数50)
3年議員
第8回
(定数50)
3年議員
第10回
(定数50)
3年議員
第12回
(定数50)
奇数回
第3回
(定数50)
3年議員
第5回
(定数50)
3年議員
第7回
(定数50)
3年議員
第9回
(定数50)
第11回
(定数50)
†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。