関根久蔵

関根久蔵
せきね きゅうぞう
生年月日 1894年12月20日
出生地 日本の旗 日本 埼玉県児玉郡金屋村
(現・埼玉県本庄市
没年月日 (1969-03-29) 1969年3月29日(74歳没)
前職 農業
所属政党日本進歩党→)
(民主党→)
(自由党→)
自由民主党
称号 正四位
勲二等瑞宝章

選挙区 全国区
当選回数 1回(1度失格)
在任期間1953年5月3日) - (1954年9月24日
1954年10月17日 - 1959年5月2日

選挙区 (埼玉全県区→)
旧埼玉3区
当選回数 2回
在任期間 1946年 - 1948年12月23日

金屋村長
在任期間 1949年 - ?
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関根 久蔵(久藏[1]、せきね きゅうぞう、1894年明治27年)12月20日[2] - 1969年昭和44年)3月29日[2][3])は、日本の農業経営者、政治家衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)、埼玉県児玉郡金屋村長。

経歴

埼玉県児玉郡金屋村(のち児玉郡児玉町、現:本庄市)で生まれる[2]1913年群馬県立富岡中学校を卒業し[2][3]、農業を継いだ[2]

1920年、金屋村助役に就任し、農業恐慌への対策に取り組む[2]。その後、金屋村信用販売購買組合長、同村産業組合長、同村農業会長、埼玉県信販購利用組合連合会専務理事、同農業会専務理事、同農業共済組合連合会長、同信用農業協同組合連合会長、同養蚕農業協同組合連合会長、全国乾繭組合連合会副会長、全国養蚕農業協同組合連合会長、農林中央金庫評議員などを務めた[2][3][4]

1946年4月、第22回衆議院議員総選挙で埼玉県選挙区から日本進歩党所属で出馬して当選[3]第23回総選挙(埼玉県第三区)でも当選し、衆議院議員を連続2期務めた[2][3]1949年、金屋村長に選出された[2][4]1953年4月、第3回参議院議員通常選挙全国区から自由党所属で出馬して当選したが、栃木県佐野市の投票所で候補者平林剛の所属政党名の誤記があったことにより、1954年9月24日、最高裁判所の上告審判決により佐野市での選挙が無効となり、関根を含めた6名が失格した[4][5]。そのため、1954年10月17日、佐野市で再選挙が行われ、改めて当選が確定し[4][6]、参議院議員を1期務めた[4]。この間、民主党総務委員、同政調会農林部会長、同埼玉県支部長、自由民主党総務、参議院農林水産委員長などを務めた[2][3][4]

1965年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章[7]

1969年(昭和44年)3月29日死去、74歳。死没日をもって正四位に叙される[1]

脚注

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  1. ^ a b 『官報』第12691号19-20頁 昭和44年4月7日号
  2. ^ a b c d e f g h i j 『埼玉人物事典』455頁。
  3. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』344頁。
  4. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』337頁。
  5. ^ 『参議院議員選挙一覧 第3回』241-245頁。
  6. ^ 『参議院議員選挙一覧 第3回』229-233頁。
  7. ^ 『官報』第11513号14頁 昭和40年4月30日号

参考文献

  • 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 参議院事務局編『参議院議員選挙一覧 第3回』参議院事務局、1955年。
議会
先代
重政庸徳
日本の旗 参議院農林水産委員長 次代
秋山俊一郎
日本の旗 参議院農林水産委員長
埼玉県の旗 旧埼玉3区選出衆議院議員(1947年 - 1993年) 国会議事堂
定数3
第23回
第24回
第25回
第26回
第27回
第28回
第29回
第30回
第31回
第32回
第33回
第34回
第35回
第36回
第37回
第38回
第39回
第40回
第1回
(定数100)
3年議員
偶数回
第2回
(定数50)
3年議員
第4回
(定数50)
3年議員
第6回
(定数50)
3年議員
第8回
(定数50)
3年議員
第10回
(定数50)
3年議員
第12回
(定数50)
奇数回
第3回
(定数50)
3年議員
第5回
(定数50)
3年議員
第7回
(定数50)
3年議員
第9回
(定数50)
第11回
(定数50)
†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。