岡田宗司

岡田 宗司(おかだ そうじ、1902年8月12日 - 1975年7月8日)は日本政治家参議院議員(3期、日本社会党)。東京市神田区出身。

経歴

旧制開成中学、旧制松本高校文科乙類、東京帝国大学経済学部卒業。東京帝大在学中は「東大新人会」の主要メンバーとして活躍。戦前、労農の同人として参加し人民戦線事件で検挙。釈放後に南洋経済研究所に入り経済関係の著述を『科学主義工業』などに寄稿していた。

戦後、日本社会党結成に参加、1947年第1回参院選に全国区から出馬し初当選する。1948年に政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された[1]。一貫して左派に属し、社会党再統一後に党参議院議員会長・党国際局長を歴任。1956年国際連合加盟に際し、外務大臣重光葵に同行し国際連合総会に出席。1959年書記長浅沼稲次郎を団長とする訪中団に参加。その年の参院選で落選。この選挙では鮎川金次郎柏原ヤスが入れ替わりで当選している。1962年参院選で返り咲きを果たすが、1968年参院選では自治労出身の占部秀男が党の公認を受け、無所属で立候補。帆足計らの支援を受けるものの落選し、そのまま政界を引退する。

1972年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章[2]

1975年7月8日死去、72歳。死没日をもって正四位に叙される[3]

脚注

  1. ^ 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第11号 昭和23年4月5日
  2. ^ 『官報』第13764号18頁 昭和47年11月9日号
  3. ^ 『官報』第14560号9-10頁 昭和50年7月16日号

参考文献

  • 荻上悦子著『春寂寥 旧制松本高等学校人物誌』2008年。
議会
先代
武内五郎
日本の旗 参議院懲罰委員長
1965年 - 1967年
次代
中村英男
先代
楠見義男
日本の旗 参議院農林委員長
1950年 - 1951年
次代
羽生三七
日本の旗 参議院懲罰委員長 (1965年-1967年)
日本の旗 参議院農林委員長 (1950年-1951年)
第1回
(定数8)
3年議員
偶数回
定数4
第2回
第4回
第6回
第8回
第10回
第12回
第14回
第16回
第18回
第20回
定数5
第22回
定数6
第24回
第26回
奇数回
定数4
第3回
第5回
第7回
第9回
第11回
第13回
第15回
第17回
第19回
定数5
第21回
第23回
定数6
第25回
↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。
第1回
(定数100)
3年議員
偶数回
第2回
(定数50)
3年議員
第4回
(定数50)
3年議員
第6回
(定数50)
3年議員
第8回
(定数50)
3年議員
第10回
(定数50)
3年議員
第12回
(定数50)
奇数回
第3回
(定数50)
3年議員
第5回
(定数50)
3年議員
第7回
(定数50)
3年議員
第9回
(定数50)
第11回
(定数50)
†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。
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